国立市で電力プレート初発見!
発見日 2022年4月25日
発見場所 東京都国立市谷保
「ヤボ」?
歴史
1868年(明治元年)
韮山県設置。上谷保村、下谷保村、青柳村、石田村が所属する。まもなく石田村が神奈川県へ編入。
1871年(明治4年)
上谷保村、下谷保村、青柳村、が神奈川県へ編入。
1875年(明治8年)
上谷保村、下谷保村が合併し、谷保村に。
1889年(明治22年)
谷保(やぼ)村、青柳村、石田村飛地が合併し「谷保村」に。
1929年(昭和4年)
谷保駅開設。
「谷保」は本来は「やぼ」と読む。しかし、南武鉄道(現:JR南武線)は谷保駅を開設した際、語韻が、よくないということで濁音をとって「やほ」とした。
1943年(昭和18年)
現在の国立地域(東・中・西・北)で大字国立が成立。
1951年(昭和26年)
谷保村が町制施行。駅名から町名をとって「国立町」となる。
1967年(昭和42年)1月1日
市制施行。
電力プレートが作成されたころは、既に「ヤホ」と読まれていたはずだが、「ヤボ」になっているのは何故だろうか?
広辞苑に、「やぼてん」という言葉の解説が載っている。
「やぼてん・・谷保天神の神像から出た語という。きわめて野暮なこと。またその人。やぼすけ。」
「わたしたちの町国立」郵政国立研究会編著・ぎょうせい より
谷保の天神さまは、ヤボ(野暮)の代名詞のようにいわれている。
むかし、江戸の目白で、谷保天満宮の御開帳(ごかいちょう-御神体を奉安した厨子を開いて公開すること)をしたことがある。 当時は、神社の経営も氏子の寄進だけに頼っていたので、 凶作の年などは祭も出来ないほどだった。 そこで、時の宮司が氏子総代と相談をし、江戸のさかり場で出開帳をして、 なにがしかの賽銭を得ようと言うことになった。 時は神無月である。
出開帳には多勢の参拝者が集まって、この奇策も一応成功を納めたのであるが、 通りがかった一人の男が、次のような狂歌を詠んだことから、話題になった。
神ならば出雲の国へ行くべきを
目白で開帳ヤボのてんじん
その人は、狂歌師として有名な蜀山人こと太田南畝であった。 蜀山人は、神様は全部出雲に集まるべき神無月なのに、 江戸くんだりまで出て御開帳をしている谷保天神を、その地名に引っかけ、 なんてヤボな、と皮肉って狂歌にしたというのである。
それ以来かどうかはわからぬが谷保天神はヤボな神さまだと、 谷保天を野暮天にすりかえて口にするようになってしまった、ということである。
立川②
立川のものは初めてかもしれない。
府中市のものも数字④が付いていた。
これらの数字は何を意味するのだろう?