恵比寿駅から寄り道しながら、目黒区宮ヶ丘の旧町名があるはずの目黒区南へいつものように徒歩で行く。
最寄りの駅は洗足駅か大岡山駅だったが、自分の探索は徒歩が基本だ。
南の何丁目にあるかわからないので、1丁目から3丁目までローラー作戦を実施することを覚悟していた。
雨が降る前に片づけなくてはいけない。
途中、藤城清治スタジオがあり、以前このあたりを探索したことがあることを思い出した。
何を目的に訪問したのかは忘れてしまったが・・・。
名前は知らなくても、このような影絵を見たことがある人はいるのではないか。
ラッキーなことにローラ作戦途中で発見することができた。
発見日 2022年4月26日
発見場所 東京都目黒区南2丁目
住所だけの銅板の表札。
左側の門柱に設置してあった。
「區」が旧字体、区名が右書きなので、戦前のものの可能性がある。
バス停
歴史
1927年(昭和2年)4月1日
碑衾村は町制施行により碑衾町になる。
1932年(昭和7年)
目黒町と碑衾町の区域をもって目黒区が新設された。
碑衾町碑文谷より宮ヶ丘が成立。
1966年(昭和41年)
住居表示により南1・3、碑文谷3となり、宮ヶ丘は消滅。
地名の由来
もとは高木町二丁目であったが、住民投票(ほとんどが新興住民)で宮ヶ丘となった。
碑文谷八幡宮の「宮」からきているようだ。
「南」は目黒区の南端、大田区との境目にある。
1・2丁目が環七通りの北側、3丁目が南側と分断されている。
町内に電車の駅はなく、最寄りとなるのは東急東横線の都立大学駅、目黒線の洗足駅、大井町線の大岡山駅。
雨が降ってきたので、西小山駅まで歩いて帰ることにした。
よかった、雨が降る前に発見できて。
家に帰って調べたら、目黒區の古地図があった。
持っていることを忘れていた。
気が付いていれば、2丁目にあることが分かったので、もっと早く見つけられたはずだ。
こういうのを宝の持ち腐れというのだろう。