歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

奈良縣里程元標&奈良市道路元標&高札場

発見日  2022年4月8日

発見場所 奈良県奈良市橋本町

三条通沿いに奈良縣里程元標、奈良市道路元標、高札場が一か所にまとめられて設置されている。

普通の観光客だと観光ガイドにも載っていないので、「これは何だ?」と思うかもしれないが、立ち止まらずにそのまま通り過ぎてしまうのではないか?

f:id:citywalk2020:20220416185130j:plain

 

奈良縣里程元標

f:id:citywalk2020:20220416185141j:plain

以前埼玉県草加市にあるものを紹介したことがあるが、これは復元されたもののようだ。

 

右側

f:id:citywalk2020:20220416185110j:plain

東 三重縣管轄堺  三本松標柱へ 拾壹里壹丁四拾八間
西 大阪府管轄堺  王寺標柱へ  六里四丁弐拾七間
南 和歌山縣管轄堺 五條標柱へ     拾里拾四丁弐拾壹間
北 京都府管轄堺  般若寺標柱へ 壱里壹丁四拾六間

 

左側

f:id:citywalk2020:20220416185219j:plain

郡山中央標  壱里弐拾九丁 田原本中央標 五里六丁
丹波市中央標 参里     添上郡役所  参丁半

 

 

「奈良縣里程元標」 

f:id:citywalk2020:20220416185150j:plain

 一八七三(明治六)年、明治政府 は「道路里程調査」を実施し、国内諸街道の起点を、東京・日本橋と京都・三条大橋の中央と定めました。 
奈良県においては、古くは平城京に都が移された頃の明日香と結ぶ「上ツ道」「中ツ道」につながり、江戸期にも「御高札場」のあったここ橋本町が、京都・大阪・伊勢へとむかう県内諸街道の起点とされ、一八八八(明治二十一)年七月、「奈良縣里程元標」がこの地に設置されました。 
 当初は「御高札場」と同様約二十メートル西方に設置されていた「奈良縣里程元標」をこの場所に移し、当時の資料をもとに復元しました。私達はこの「奈良縣里程元標」を、近代奈良の歴史と新たな観光のシンボルとして後世に伝えてゆきたいと考えています。なお、一九二〇(大正九)年に設置された「奈良市道路元標」もあわせて移設しました。 
二〇一〇(平成二十二年)五月 
平城遷都一三〇〇年を記念し復元 
橋本町 自治会 
三条通り橋本商親会 

完成した里程元標は1辺30センチ、高さ3メートルの吉野産のヒノキ製。元の場所から東20メートルの三条通り沿いの、1984年に復元された「御高札場」に建てられた。

 

奈良縣里程元標の旧設置場所もこの近くに設置されていたそうだが、調査不足で気が付かなかった。

 

奈良市道路元標

f:id:citywalk2020:20220416185121j:plain
f:id:citywalk2020:20220416185230j:plain

1920年大正9年)に設置された。

大正期に設置された道路元標は、1919年(大正8年)の旧道路法制定後に、同年11月に関係法令として制定した道路法施行令で3条にわたって規定したものである。この規定内容は、「府県庁、師団司令部、鎮守府、郡市役所または町村役場の所在地を国道、府県道、または郡道の路線の起点終点とするときは市町村における道路元標の位置によるものとする」とし、各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。さらに、1922年(大正11年)に、道路元標の形状、規格、材料など細目が規定された内務省令(内務省令第二十号)が発布され、当時1万2000以上あった各市町村の自治体中心部に設置が始められた。 

 

高札場

f:id:citywalk2020:20220416185209j:plain

f:id:citywalk2020:20220416185240j:plain

立て札は9枚ある。
上から
一段目

二段目

三段目
左  定 奈良行事
中央 道行目安書
右  條々

四段目
左   定 奈良公園をすみかとせし鹿に申し渡す
中央1 春日大社末社手力雄仁寿
中央2 興福寺仏教文化
右   奈良行事

 

道行目安書
寺社ばかりだと思ったが、奈良国立博物館が入っている。
最後に「奈良町はゆるりと歩くべし」と記載されている。

 

奈良公園をすみかとせし鹿に申し渡す
一 人の捨てし如何様のごみをも思慮なく食すことならじ 特にビニール袋は未消化にて死に到らしむ仲間多かりし
一 車の増えし昨今鹿身事故 跡を絶たず 道路横断の時は左右確認を怠るべからず
一 其の方共弱き生き物なり 犬の牙には特に注意し その姿見れば懸命に逃げるべし
一 人とは仲良く ゆめその角その足を振り上げ傷つけし事無かりしよう注意すべし
一 常に大和国の顔として其の身を自覚し人に愛される鹿たるべく日々研鑽すべし

 

高札場に書かれている文章は、訪問した時は時間の関係でよく読まなかった。

家に帰ってから調べてみると、面白いことが書いてあることが分かった。

 

御高札場復元の経緯

f:id:citywalk2020:20220416185159j:plain

 高札とは法令を民衆に迅速に周知徹底させるため建てられたものです。奈良時代末期に始まり、江戸時代には全盛を極めました。奈良町の中心であったこゝ橋本町にも「御高札場」として明治初期まで建てられ、この周辺は大変にぎわっておりました。
 今改めて奈良の歴史を掘り起こすとともに、御高札場を新しいシンボルとして地元はもちろん観光に来られた方々にも御見識していただき、地域社会の活性化の一役を担うものにするため各位のご協力を得ましてここに復元しました。
昭和59年7月吉日
  橋本町自治
  南部まほろば会