歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

町会会員プレート 宮田町会

このようなものは、発見したこの機会に取り上げないと、永遠にお蔵入りになってしまいそうなので、紹介することにした。

 

発見日  2022年5月12日

発見場所 東京都墨田区文花3丁目

琺瑯性の町会会員プレートが存在しているので、歴史ある町会なのではないかと思った。

宮田町会は京島三丁目44番6号・8号・11号、57番、58番7号から15号、60番1号から6号、61番から68番と文花三丁目2番から20番で構成されているようだ。

以前の資料では600世帯が居住しているとのことだが、現在では減少しているのではないだろうか。

なぜ町会名に「宮田」という名称が使用されているのだろうかと調べてみたところ、かつての東京府南葛飾郡吾嬬町に大字小村井字宮田が存在していたことを突き止めた。

これ以上のことは分からなかったが、おそらくこの字名「宮田」が町会名として今も残っているのだろう。

「小村井(おむらい)」は東武鉄道亀戸線の駅名として残っている。

 

宮田町会 理事

鮮やかなブルーだ。

このような理事のプレートは初めて見た。

理事を交代するときは、このプレートを外して、新しい理事に渡すのだろうか?

 

宮田町会 掲示

 

宮田町会 安全・安心防災マップ

安全・安心防災マップは、京島地区内に配備されている消火器や簡易消火機材等の防災設備、火災時水栓提供宅等を記載しており、町会を通じて全戸配布しています。また、2年ごとに更新作業を行っています。(京島地区まちづくり協議会のあゆみ(40周年記念誌)より)

東京都都市整備局による2018年の評価では、都内の市街化区域5,177町丁目の中で京島二丁目・京島三丁目は、地震に対する建物倒壊危険度がそれぞれワースト1・ワースト2に挙げられているようだ。

 

宮田通り

現在、中居堀通りに面して向島警察署がある。1917年(大正6年)請地府道(平井道旧たから通り・地蔵坂通り続き)から警察署南横の仲居堀宮田橋までに道を作った。その後、1921年(大正10年)までには(大正10年の地図に初出)中川平井の渡し場付近葛西川村まで延長させた。その道を宮田通りと呼んだ。

十間橋通りの文花3丁目バス停から向島警察署の南側を通り中居堀に架る宮田橋を渡り、更に明治通りを越え平井橋まで行く道「宮田通り」は1921年(大正10)年の第2回修正図には記載されている。
これは1918年(大正7年)に地元地主有志が自分の土地を無償で提供して急遽作った吾嬬町最初の幅員3間(5.4メートル)道路である。しかし、平井橋のたもとまでは達していなかった。1917年(大正5年)修正図をみると、葛西川地区は既に家屋が結構建ち並んでいて、古い村落でもあったので土地提供に難しさがあったのかもしれない。
その後、平井橋まで直接達する道が出来たのは地図上では戦後の1958年(昭和33年)第2回修正図が初出である。遅れた理由として考えられるのは、平井橋の鋼鉄橋が1942年(昭和27年)12月に架け替えられている。その関連から平井橋へ直通する平井通りを貫通させたと考えられる。