過去の東京23区外のものを調べていたら、まだ未紹介のものがあった。
たぶん新座市を探索した時に、東久留米市に入り込んでしまい、その時に発見したものだと思われる。
と記憶があいまいだ。
探索していると予定していない自治体に入り込んでしまうことがよくある。
そこで発見があると、予定外の収穫で「ちんどんどん」となる。
朝ドラ「ちんどんどん」は昨日(2022年5月16日)より東京編が始まった。
昨日はたばこの看板を見かけた。
50年前の小道具を探すのもひとつの楽しみである。
発見日 2020年10月14日
この住所は手書きなのだろう。
「多摩」の「多」が異体字の「夛」(少し違うがこの字しか出ない)になっているのが、いい感じ。
歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、門前・神山・落合・小山・南沢・前沢・下里・柳窪・柳窪新田・栗原新田の10村、田無町の飛地を編入して神奈川県北多摩郡久留米村が誕生。
1956年(昭和31年)8月1日
久留米町として町制施行。
1966年(昭和41年)6月1日
住居表示実施により大字南沢、大字落合、大字栗原新田から浅間町3丁目になる。
1970年(昭和45年)10月1日
市制施行と同時に自治体名を改称し、東久留米市となる。
地名の由来
黒目川・落合川・立野川が合流して落ち合う場所から名付けられたのだと考えられてる。
2021.3.15東村山市教育委員会だよりの歴史に学ぶ第2回の記事に以下のような記述があった。
昭和41年の第1回目の西武池袋線より東側で行われた変更では旧村名である「神山」「門前」「落合」の全てが新町名には使用されなかった。
しかし、昭和43年の2回目に行われた変更では、「小山」「南沢」「前沢」「下里」「柳窪」「野火止」の全ての旧村名が新町名として使用されたそうだ。
これは昭和42年の「住居表示法」の改正が影響があったらしいが、消滅してしまった地域に住んでいた住民の方はどう思っただろうか?