以前から気になっていたところがあった。
さいたま市南区大谷口で発見した「北足立郡谷田村大字大谷口向原」と同じような表札が遠目に見えたのである。
しかし、道路から離れていて、当然肉眼では確認できず、スマホでも撮れない場所にそれはあった。
旧町名の痕跡があるのは分かっているが、スマホだと遠すぎて撮れない場所にあったり、どうにか撮れるが、写真を拡大しないとよく見えなかったり、撮った写真を拡大してもぼやけてしまうといったスマホでは限界を感じる場所が、少ないがいくつかある。
そのためにいつか高倍率のコンパクトデジタルカメラがほしいなとずっと思っていた。
きっかけは中野区大和町の琺瑯町名プレートの探索だった。
ようやく発見したのだが、はるか先の玄関付近にあり、スマホでは限界だった。
そこでようやく決心した。
5月初旬に注文したのだが、取り寄せということで少し時間がかかったが、最近ようやく手元に届いた。
購入したのは、パナソニック LUMIX DC-FZ85だ。
低価格で超望遠1200mmということなので、これにした。
購入後、最初ここに訪問したのは夕方だった。
曇っているせいもあるのか焦点が合わない。
人通りが結構ある通りなので、こんなところで慣れない望遠カメラをああでもないこうでもないと操作していたら、絶対不審者と思われると思い、この日はあきらめた。
そして今日(2022年5月18日)再チャレンジした。
晴れていて久しぶりにいい天気だ。
撮れた!
やはり思った通り、旧町名のものだった!
「ちむどんどん」だ!
でも、すぐ消えてしまい、その場では、撮った写真を再確認することができなかった。
撮った写真を確認する方法を知らなかったのである。
/(^o^)\ナンテコッタイ
(変換したらこんなのが出てきたので、そのまま採用。)
ちゃんと撮れているのか、と不安になったが仕方ない。
家に戻ってから、マニュアルの確認方法を読み、撮った写真を確認する。
満足するような写真は撮れなかったが、撮れたことに感激である。
自分的にはさいたま市南区大谷口で発見した「北足立郡谷田村大字大谷口向原」に続いての大発見だと思っている。
超スーパー「ちむどんどん」だ!
しつこい?
他人はそうかもしれないが、自分は超スーパー「ちむどんどん」の気分なのだ!
今日は大発見個人的お祭りだ!
と、1人ではしゃいでいるが、はしゃぎたくなる気持ちは自分にしかわからないだろう。
年を取ると感動することが少なくなるような気がする。
飛び上がって喜ぶとまではいかないが、うれしいと思うことが大切だと思う。
こういう発見がモチベーションにも繋がる。
旧浦和市で「北足立郡」のものを発見したのはこれで3軒目となった。
もう1軒は未紹介であるが、「北足立郡大久保村大字白鍬」のものである。
これについては、いずれ紹介することにしよう。
発見日 2022年5月18日
少しボケてしまっているが、はっきり文字は読めているので、問題ないだろう。
1879年(明治12年)3月17日
郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、上木崎、下木崎、駒場、瀬ヶ崎、針ヶ谷、本太、北袋、木崎領領家が合併し、木崎村(江戸期の木崎村とは別の自治体)が成立。本太村は木崎村の大字本太となる。
浦和宿の範囲をもって浦和町発足。
1932年(昭和7年)4月1日
木崎村が谷田村と共に浦和町へ編入され、浦和町の大字となる。
1934年(昭和9年)2月11日
浦和町が市制を施行し、浦和市となり、浦和市の大字となる。
1954年(昭和29年)1月1日
浦和市大字本太から本太町一丁目〜五丁目、元町一丁目〜三丁目、前地町一丁目〜三丁目が成立。(住居表示とは別の町名変更)
1966年(昭和41年)4月1日
住居表示実施により本太町一丁目〜五丁目、仲町五丁目、大字駒場の各一部から本太一丁目〜五丁目が成立(本太町一丁目から本太一丁目、本太町二丁目・仲町五丁目の一部から二丁目、本太町三丁目・仲町五丁目の一部から三丁目、本太町四丁目から四丁目、本太町五丁目・大字駒場の一部から五丁目)。
2001年(平成13年)5月1日
浦和市が与野市、大宮市と合併しさいたま市となり、さいたま市の町名となる。
2003年(平成15年)4月1日
さいたま市が政令指定都市に移行し、さいたま市浦和区の町名となる。
谷田村の表札と比較してみた。
谷田村の右側の表札の「北足立郡」と文字の形が似ているような気がする。
同じ人が書いたのだろうか?
1932年(昭和7年)4月1日に木崎村が谷田村と共に浦和町へ編入され、浦和町の大字となる。とあるので、ほぼ同時期だ。
可能性はあるのではないか。
浦和町のものも発見したいが、どこかに存在しているだろうか?