歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

木下川(きねがわ)やくしみち道標 

墨田区の探索を終え、錦糸町駅に向かう途中で発見したもの。

 

このような道標、道路元標、里程標、水準点、庚申塔など石で作られたものに何故か惹かれるようになってきた。
だんだんと守備範囲が広くなってきてしまった。
一つのものを極めるのが、本当のマニアかもしれないが、複数のものに興味を抱いてもいいだろう。

 

道標の読みは、音読みで「どうひょう」、訓読みで「みちしるべ」または「みちじるし」。一般的には「道標」のように漢字二文字で書く場合は、音読みの「どうひょう」を採用するケースが多い。一方、訓読みで「みちしるべ」と読ませたい場合は「道しるべ」と書くことが推奨されているらしい。

 

 

発見日  2022年5月12日

発見場所 東京都江東区亀戸3-39 

高さ71センチのこの道標は、ここ境橋から、木下川薬師堂(葛飾区東四ツ木1丁目)へ至る木下川薬師道(現在の仲居掘通り)を示すものです。

刻銘は、正面に   木下川
          やくしみち
    右側面に、 本石町
          賽暦十一年辛巳孟春
    左側面に、 あつまもり

あつまもりとは、吾妻権現社のことで境橋を渡った右手、北十間川沿いにありました。本石町は日本橋の町名で、この道標の建てられた賽暦11年(1761)頃には、きっと江戸町人の参詣が盛んだったことがうかがえます。

 亀戸3丁目宮元町会
 祐天堂保存会

 

正面

木下川
やくしみち

 

右側面

右側に「祐天堂」があり、よく見えないし、うまく撮れない。

本石町
賽暦十一年辛巳孟春

と彫られているのか?

と思ったが、左側面を見てもらおう。

 

左側面

こちら側に

本石町
賽暦十一年辛巳孟春

と彫られている。

と書いたが、本石町の文字が読み取れない。

 

説明板と左右が逆だ。

間違っているのか?

 

日本橋本石町

この地はもと石町(こくちょう)と呼ばれていたが、寛文年間に神田に新石町(しんこくちょう:現在の内神田三丁目付近)が出来たので本石町と呼ばれるようになった。石町という町名は、古くは米穀商が多く集まっていたことから穀類を数える単位の石に由来するとされる。一丁目から四丁目まであった(ただし町域は現在とは異なる)。

昭和7年(1932年)、関東大震災後の区画整理により本石町は従来からの町域を変更することになり、この時周辺にあった金吹町、北鞘町、本革屋町、本銀町、本町、本両替町などの町域全部または一部を合併し、現在の本石町一〜四丁目となっている。なお十軒店は現日本橋室町三丁目の一部に当たる。


※祐天堂
六字名号供養塔 伝祐天書 祐天堂由来
 昭和四十一年に設けられた当時の説明板等によりますと、その由来は、元禄年間に祐天上人が千葉方面に往来の途中、この付近の川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て、非常に心を痛め、その霊を懇に回向されました。その際に、これらの仏に戒名を与え祐天上人、自らが筆を取って石にその戒名を記された供養塔をここに残されました。
 後年、この供養塔を奉った祠が、この祐天堂であります。
 それ以来、この付近では水死者もなく、またこの付近の子供たちが水辺で遊んでいても溺れたためしが無かったと言い伝えられ、この付近に住む人々によって、水難除、安産、子供の守護の祠として崇め奉られ今日に至ります。(近年では、この祠に、交通安全祈願をなさる方も多いと聞きます。)
 また、毎年七月二十四日を由縁の日と定め、祐天上人の遺徳を仰ぎ精霊の供養を営む日と定められてまいりました。
  亀戸三丁目宮元町会
  祐天堂保存会

 

木下川薬師堂(東京都葛飾東四つ木1-5-9)

天台宗寺院の浄光寺は、849年に創建したという古刹で、伝教大師作の薬師如来像を本尊とし、もと天台宗浅草寺末派筆頭で、古くから木下川薬師(きねがわやくし)として知られている

 

Yahooの地図で調べてみたところ、徒歩だと3.8km、47分かかるようだ。
信号に捕まれなければ、もっと早いと思うが、1時間くらいと思った方がいいだろう。