諸事情があり、中々訪問できなかったが、ようやく訪問できた。
訪問日 2022年5月21日
桃園橋からの風景。
働く車が大活躍だった。
囲われている場所はほぼ更地になっていた。
通行止めになっていた跨線橋から先の道が通れるようになっていた。
この奥にある電力プレートを確認しに行く。
えっ!
ない?
街区表示板もなくなっていた。
本当か?
やっぱりない。
どうしたんだ。
永世屋さん
シャッターが下ろされていた。
シャッターに貼られていた。
途中にある印刷屋さんに貼られていた「この開発でここ囲町町会は消滅しました」と書かれていたポスターはなくなっていた。
仮店舗に行ってみた。
こちらで仮営業をしているようだ。
覗いてみると、人影が見えた。
中に入ってみる。
ご主人がいた。
消滅したショックで、前置きもなく聞いてしまった。
電力プレートのことを。
電力プレート自体のことをすぐにはわかったくれなかった。
形状、設置してあった場所を説明して、ようやくわかってくれたが、中々思い出せないほど印象に残っていないのものだったようだ。
それは当然だろう。
このようなものに関心があるのは、マニアだけだろう。
「そんな貴重なものだったんですか?」と聞かれる。
「囲町の名前は、公園には残っていますが、痕跡はあれが最後だったんです。」と説明したが、あー、すでに遅し。
「こちらで保管して飾ってほしかったんです。」
と言ったが、後の祭りだった。
誰が持って行ったんだ?
永世屋さんに断りもなく。
永世屋さんのものではないが・・・。
持って行ったあなた。
産業廃棄物になるのを救ってくれたので、それは感謝する。
盗んだとは言わないが、持ち去ったものを自分のコレクションにしても仕方ないだろう。
オークションなんかに出さないよね?
永世屋さんに譲ってもらえないだろうか?
みんなに見てもらおうよ。
このブログを見てくれることはないだろうし、届くはずもないことを言ってみた。
これで囲町の名を残すものは公園、町会、跨線橋だけになってしまった。
開発完了後は、公園名、町会名は残るのだろうか?
跨線橋自体は残るのだろうか?
消滅してしまったので、このシリーズは最終回となった。
残念な終わり方になってしまった・・・。