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旧町名 深谷市相生町

今回は渋沢栄一の生誕地である深谷市の旧町名を紹介しよう。

 

発見日  2020年4月25日

発見場所 埼玉県深谷市深谷

歴史

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、深谷宿、田谷村、東大沼村、萱場村、西島村、西大沼村、曲田村、原郷村の一部、国済寺村の一部が合併し榛沢郡深谷町が成立する。

1896年(明治29年)4月1日
榛沢郡大里郡幡羅郡男衾郡と統合し大里郡となる。

1955年(昭和30年)1月1日
大里郡深谷町、明戸村、幡羅村、大寄村、藤沢村が合併し、市制を施行、(旧)深谷市となる。

2006年(平成18年)1月1日
 (旧)深谷市、岡部町、川本町、花園町が合併し、新たに深谷市となる。

 

相生町の名前は郵便局、通り名、バス停、町会等に残っているようだ。
由来について調べてみたが、特に見当たらず、相生町については下記の情報以外得ることができなかった。

埼玉県深谷市深谷まつりは、深谷城内にあった三社天王(弁財天・大黒天・牛頭天王)を、天和元年(1681年)に立町(現在の相生町)に移し、八坂神社と改称して始まった「八坂まつり」が起源で三百有余年の歴史がある。

大正末期まであった深谷の遊廓、「深谷と云えば女郎屋、女郎屋と云えば深谷」と知れわたり、近在は元より、相当遠隔の地からも遥々毎日毎夜多くの人たちが遊びにきていた。大正の頃の遊廓は、相生町に9軒、本町に1軒、稲荷町に6軒あった。

町内神輿は、祭り期間中、神様が降りてきているお神輿をかついで、町内隅々まで渡御(とぎょ)し、町内の厄を払う、という儀式だが、深谷市相生町では水をかける習慣がある。

天保14年(1843)の宿村大概帳では、宿の規模は東西10町、南北3町、町名は江戸方面から稲荷町・本住町・仲町・本町・相生町・田所町と続くとある。

 

いくつか文章の中に相生町は見かけるのだが、立町→相生町深谷町の経緯は分からなかった。