歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名&琺瑯町名看板 練馬区立野町

日傘が雨傘になるという変わりやすい天気の一日だった。

「悠久の思い出」さんに載っていないので、新発見と思ったが、調べたら、すでに目撃情報があった。

残念・・・。

 

発見日  2022年5月28日

発見場所 東京都練馬区立野町

 

練馬区立野町909

階段が邪魔だ。
設置された当時はこの階段はなかったのだろう。

琺瑯製だが、劣化が激しい。

 

少し斜めから撮ったほうが、青色が際立った。

広告主は「ニシムラ電器」。
今まで発見した練馬区琺瑯町名看板では見たことがない広告主だ。

「ニシムラ電器」はムサシ関駅前で現存しているようだ。

 

現存している町名だが、住居表示前のものを発見した。

②東京都練馬区立野町906

 

中野純陶芸展

小さくてわかりにくいが、左下の写真に住居表示前の表札が紹介されている。

 

街区表示板

いつも「○○1丁目1」「○○1」を探し回っている。
その内特集を組もうかな。
あっ、でも、もう「街区道」さんが実施済かな?

 

歴史
1889年(明治22年)5月1日
町村制施行により関村と上石神井村は東京府北豊島郡石神井村大字関甲と上石神井となり、立野町は大字関甲字須崎および大字上石神井立野飛地にほぼ相当する。

1932年(昭和7年)10月1日
東京府東京市板橋区石神井立野町となる。

1949年(昭和24年)
石神井立野町が東京都練馬区立野町となる。

1984年(昭和59年)6月1日
住居表示の実施。このとき関町四丁目の一部が編入された。

 

地名の由来

武蔵国豊島郡上石神井村の南西部にあたる字「立野」であり、「たちの」と読んだ。現在の練馬区石神井一丁目・四丁目の位置に本村があり、そこから少し離れた開墾地(飛地)も立野と呼ばれるようになった。現在の立野町はその飛地の方である。なお、千川通りに「立野橋」という交差点があるが、これは上石神井村字立野で千川上水に架けられた橋の名であり、かつての本村がこの付近にあった名残である。

 

昨日の歩数

37,332歩
189位/25,978