歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 渋谷区幡ヶ谷本町

事前調査のストリービューでは発見することができなかった。

そのため現地調査を実施。

1回目(たぶん2022年5月31日)は渋谷区本町三丁目のローラー作戦を実施した。

本町三丁目は南北に山手通り、東西に方南通りが通っていて4分割されている。

そこで下記の順番で探索を実施した。

1.方南通りの下、山手通りの左 → 発見できず

2.方南通りの上、山手通りの左 → 発見できず

3.方南通りの下、山手通りの右 → 発見できず

4.方南通りの上、山手通りの右 → 発見できず

どうしてだ?

全ての道を探索したはずなのに・・・。

短いが急坂もいくつかあり、結構大変だった。

少し気分を変えようと、中野区本町一丁目にある相生町の探索に向かった。

結果は、「旧町名 中野区相生町」で報告済である。

この後、地図を見てみると3のエリアにまだ探索していないところがあることが分かった。

そこで、探索に向かうが、発見できず。

この日はあきらめて、とぼとぼと新宿駅に向かったのだった。

 

家に帰ってから、作戦を練り直した。

と言っても、ストリービューで再探索をしただけだが、見つかった。

この道は探索していなかったのか、現地で確認することにした。

 

今日(2022年6月2日)2回目でようやく発見できた。

渋谷区本町三丁目にはいくつか坂があるのだが、前回、この坂を上るのを忘れていたようだ。

なぜ忘れた?

忘れただけだ。としか言えない。

 

発見日  2022年6月2日

発見場所 東京都渋谷区本町三丁目

残念なことに「幡ヶ谷」の文字が消されているが、なんとかわかる。

現町名の表札を製作せず、このように消されている表札をよく見かける。

そのおかげで旧町名を発見できるのだから、ありがたい。

これは、もう少し風雨が頑張ってくれれば、はがれるかもしれない。

 

まだ、シールが貼られていて、全然正体がわからないものもある。

そのシールの下には旧町名が眠っているかもしれない。

眠りを覚ましてあげたいのだが、勝手にはがすことはできない。

風雨に任せるしかないのはもどかしいことだ。

 

歴史

1878年
豊島郡の一部をもって南豊島郡が設立され、幡ヶ谷村南豊島郡の所属となる。

1888年
市制・町村制が公布、施行される。

1889年
幡ヶ谷村代々木村が合併して代々幡村となった。
各村の旧村名であった「幡ヶ谷」及び「代々木」は代々幡村の大字として残る。

元来幡ヶ谷村では本村・中幡ヶ谷・下町・原・笹塚の5つの小字が存在した。

その後、字の増設が行われ、本村・本村北・本村西・下町・山谷・中幡ヶ谷・北原・南原・北笹塚・南笹塚の10個の小字になった。

1932年
東京市が近隣の5郡82町村を編入することになり、豊多摩郡に属する代々幡町も東京市編入されることとなった。
東京市編入の際、幡ヶ谷の小字も整理され下記の4町名に再編された。

幡ヶ谷本町一丁目~三丁目(←本村・本村北・本村西・下町・山谷)
幡ヶ谷中町(←中幡ヶ谷)
幡ヶ谷原町(←北原・南原)
幡ヶ谷笹塚町(←北笹塚・南笹塚)

1960年(昭和35年
町界町名地番の整理改正が行われた際、下記の3つの町に統合整理され、現在に至っている。
本町一丁目〜六丁目(←幡ヶ谷本町
幡ヶ谷一丁目~三丁目(←幡ヶ谷中町・幡ヶ谷原町)
笹塚一丁目~三丁目(←幡ヶ谷笹塚町)

1968年(昭和43年)1月1日
住居表示を実施。幡ヶ谷一丁目・三丁目の全部と幡ヶ谷二丁目の一部をもって現行の幡ヶ谷一丁目~三丁目が成立した。

 

地名の由来

1082年(永保2年)に源義家後三年の役から帰る途中に、小笠原窪(現在の本町付近)にあった池(旗洗池)にて白旗を洗い、檜に掲げて祝宴を行ったことに由来する。