歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 二軒家 渋谷区

タイトルを見て旧町名を新発見したのかと思われた旧町名マニアの方。

今回発見したものはたぶん探索中に見かけられているものだと思う。

そういう自分もこの周辺を探索するたびに見かけているが、これらは普通の旧町名マニアの方はスルーするものかもしれない。

ブログでも旧町名マニアの方はこのようなものは取り上げないだろう。

 

幡ヶ谷本町の痕跡が見つからず(2022年6月2日発見!)、この旧町名と思われる「二軒家」がやけに目についた。

幡ヶ谷本村の小字だったと思われるが、ネット上ではほとんど何の情報も得られなかった。

もっと紹介するものもあるのだが、このようなものは出会った時の勢いで紹介しないと、永遠に眠ったままになってしまうかもしれない。

旧町名といえば、表札・電力プレートがメインだと思うが、このようなものでも気になったものがあったら、今後、旧町名関連として紹介していきたい。

自分のブログは自分がルールである。

他の方がどのように思おうが関係ない。

と開き直ったところで、今回出会ったものを紹介していこう。

 

発見日  2022年5月31日

発見場所 東京都渋谷区本町三丁目

 

ブログの色どりとして最後の方で紹介することが多いのだが、最初はこちらを厳しい目で見つめている猫ちゃんから紹介しよう。

何しているんだ?

この辺りは坂の上り下りが多く、少し疲れた。

大変だな。
がんばれ!

と言ってくれたかどうか。

ドラマ「ナンバMG5」の柴犬君は本当に話しているようで、いつも感心する。

 

皇太子殿下御降誕記念の国旗掲揚

清水橋交差点付近にある。

ここに二軒家町会と刻まれている。

現在の上皇がご生誕の記念に建てられた国旗掲揚台だそうだ。

中央環状線(山手通り)工事の影響でここに移動させられたようだ。
でも、撤去されず残ってくれただけでもいい。

 

ポールの上の方に設置されているプレート。

ここには本町二軒家町会と刻まれている。

二軒家橋

かつてここには1924年大正13年)竣工のコンクリートの橋があった。
本当かどうかしらないが、重量制限7トンだったらしい。

2010年の秋、約5000万円で落札され、その後撤去されたようだ。
発 注 元:中部下水道事務所
入 札 日:平成22年11月17日
業 種 名:下水道施設工事
件  名:二軒家橋撤去に伴う十二社幹線改良工事
業 者 名:宗明建設株式会社
契約金額:49,067,550

神田川笹塚支流(和泉川)
杉並区和泉2付近にその流れを発し、渋谷区笹塚、幡ヶ谷、本町を経由して新宿区西新宿5付近で神田川に注ぐ、全長およそ3kmほどの自然河川だった。1963年頃には本流・支流含めて暗渠化・下水幹線化された。

 

二軒家橋は完全に撤去されていたが、清水橋の欄干は残っていた。

清水橋の欄干

交番裏に撤去された欄干が展示されている。

`"保存"されている?

これでは"放置"という言葉以外思いつかない。

欄干が残されているので「夏草や兵どもが夢の跡」ではないが、この句が思い出された。

ここに「清水橋」があったということを示す新たに造ったモニュメント的な欄干があるのだが、それは撮らなかった。

清水橋は山手通りと方南通りの交わる交差点の名にもなっている。

都営大江戸線の「西新宿五丁目」駅の副駅名に「清水橋」とある。

 

本町二軒家町会

本町3丁目(9・10)・11~41
本町4丁目12~21

 

二軒家町会防災地図

他のポスターで両脇が見えなくなっているが、大丈夫か?

 

二軒家町会会館

鋭角の狭小地に建つ建物。
上にいくにつれて広くなる階段、掛け時計が印象的。
一階は倉庫だろうか。

暗渠マニアの方は右側の道が気になるよね~。

 

渋谷区地域交流センター二軒家

公共施設名にも二軒家が使用されている。

 

二軒家公園

公園内には人口の池があるが、かつて清水橋の由来となった"清水"の湧く池があったそうだ。

 

二軒家公園は以前、二軒家児童遊園地と呼ばれていたのだろうか?

所在地 本町3-30-12

面積  1,050㎡

 

二軒家町会防災倉庫

「にけんや」のヘルメットをかぶった絵は可愛いが、ホースから出る水量が少なすぎ。
中央は男の子なのか?

 

押売強要お断り琺瑯看板&二軒家町会員プレート

ここにも二軒家町会が記載されている。
「売」「会」が旧字になっているので、そこそこ古いものだと思われる。

 

歴史

1932年(昭和7年
東京市編入の際、幡ヶ谷の小字が整理された。
本村・本村北・本村西・下町・山谷から幡ヶ谷本町一丁目~三丁目が成立。

1960年(昭和35年
町界町名地番の整理改正により幡ヶ谷本町より本町一〜六丁目が成立。

 

地名の由来

古老は慶長の頃(1600~)から、ここに滝島姓の二軒があり、それが地名の起こりという。

「渋谷の橋」
東京都渋谷区教育委員会

 

1603年に江戸時代が始まるが、1600年というとその前の安土桃山時代ということになる。その頃から続く滝島さんの子孫の方は今でもおいでになるのであろうか?

その頃のこの辺りはどうだったのだろうか?