歩・探・見・感

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煙草小賣所 千葉縣印旛郡八街町八街

発見日  2022年6月4日

発見場所 東京都墨田区横川1-16-3

発見場所が墨田区横川?

なぜ?

そう、たばこと塩の博物館に展示されていたものだ。

たばこと塩の博物館を訪問した大きな目的はこのような看板があることを期待していたからだ。

これを見つけた時は「ちむどんどん」だった。

他にも見たことのない看板類があり、興奮を抑えることができなかった。

「あきさみよー」

 

まず「八街」は何と読むんだ?
「やちまた」。
千葉県の難読地名のひとつだ。

 

歴史

1889年(明治22年)4月1日
町村制の施行により、八街村、文違村、榎戸新田、大関新田、雁丸新田の区域を以って印旛郡八街村が発足。

1919年(大正8年)1月1日
八街村が町制を施行し、八街町となる。

1954年(昭和29年)11月1日
川上村と合併し、改めて八街町が発足。

1992年(平成4年)4月1日
市制を施行、八街市となる。

 

地名の由来

明治時代初期、新政府の政策により徳川幕府の放牧地であった小金牧・佐倉牧の開墾が進められることとなり、開墾局が開庁した。

明治2年5月25日(1869年7月4日)
開墾着手の順序によって地名が命名された。八街(やちまた)という地名はこれに始まる。

開墾着手の順序でつけられた地名は、下記の通り13番まであるが、市町村名として残っているのは八街市のみである。
1.初富(はつとみ)… 鎌ヶ谷市
2.二和(ふたわ)… 船橋市
3.三咲(みさき)… 船橋市
4.豊四季(とよしき)… 柏市
5.五香(ごこう)… 松戸市
6.六実(むつみ)… 松戸市
7.七栄(ななえ)… 富里市
8.八街(やちまた)… 八街市
9.九美上(くみあげ)… 香取市
10.十倉(とくら)… 富里市
11.十余一(とよいち)… 白井市
12.十余二(とよふた)… 柏市
13.十余三(とよみ)… 成田市多古町

 

地元では『あ~やっちまった、やっちまった、八街』という人がいるとかいないとか。

 

八街の後ろの文字は「へ」なのかなと思ったがやっぱり「へ」だった。

八街市史研究』創刊号によれば、当時の開墾会社ごとにその所有地に「いろはにほ」の地名がつけられ、その後編入された小間子村が「ヘ」とつけられた。これらは、八街市中心市街地を中心として西方に位置する「い」を起点として、時計回りに配されている。

ということは元々は小間子村だったということか?

調べてみると現在も使用されていた。

地名  かな読み  郵便番号
八街い    やちまたい    289-1143
八街ろ    やちまたろ    289-1144
八街は    やちまたは    289-1107
八街に    やちまたに    289-1103
八街ほ    やちまたほ    289-1115
八街へ    やちまたへ    289-1113

他にもイロハニの地名は旭市香取市山武市匝瑳市東庄町などにみられるそうだ。

千葉県民にしてみれば珍しくないのかもしれないが、他県民から見ると、こりゃまた「びっくりぽん」だ。

 

これは1904年(明治37年)~のところに展示されていた。

1914年(大正3年)までに製作されたものというなのだろうか?

 

以前、下記の記事で東京市品川區南品川の煙草小賣所を紹介したことがある。

citywalk2020.hatenablog.com

 

そこで今回紹介した煙草小賣所と比較してみよう。

八街町のものは「専売局指定」と記載されているが、南品川のものには記載されていない。
煙草小賣所と煙草小賣人の文字の字体は同じように見える。

少し異なる部分があるが、もしかしたら、同時期に製作された可能性がある。

ということはだよ、南品川のものも1904年(明治37年)~1914年(大正3年)までの間に製作されたものではないのか?
品川町が発足したのは1889年(明治22年)5月1日なので、その可能性は十分ある。

ちんどんどんしてきたあ。

実際のところは不明だが、もし持ち主の家の方に聞ける機会があったら、聞いてみたい。

 

煙草元賣捌所(たばこもとうりさばきじょ)

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 煙草(2-166)
大阪朝日新聞 1931.2.4 (昭和6)

売捌のボロイ儲け
一年の利益二百四十万円
「廃業」を振りかざして専売局に挑戦しはじめた煙草元売捌人とはどんなものか、わが国では明治三十七年七月煙草の製造、販売までも専売たして煙草の統一的専売制度を敷いたが、この専売局の製造品を一般商人に、売り渡す機関としての元売捌業者もこの年に初めて生れた、その数は最初は全国で百名足らず、一ヶ年の売上げも一千四百八十万円にすぎなかったが、現在では全国で四百四十八人の多数が年々二億八千万円を超ゆる煙草を売り上げ元売捌人の利益は約二百四十万円に達しているもっともこれは元売捌人の居住地方別により一等地の利益率定価の一割一分八厘から八等地の一割六分までの八級に分たれているが、この中には小売商の利益一割一分も含まっているから正味元売捌人の懐ろに入る本来の利益は八厘乃至五分であるが何しろ全国煙草の売上げがベラ棒に大きいだけその収益金も多い、このほか二ヶ月まで許されている延納金の金利や馬鹿にならないのは煙草包装紙、木箱などの売却金などを算用に入れれば眼に見えない利益が浮き上って来る元売捌人の資格は?元売捌人は小売商などと同じく専売局の指定によって許可、期限は三年据置、担保として公債で約二ヶ月分の買受代金に相当する額(通常約十一万円見当)を国庫に納入するがこれも時価八掛程度のものを額面通りチャント納入させてくれるから元売捌人にとっては銀行頂金以上に利廻りがよく、地方では煙草の元売捌をやっているといえば随分と巾の利く信用を伴うので今日までかなり有利な商買であったといわれている

1931年(昭和6年)6月末日で煙草元売捌人制は廃止されたが、それまで煙草元売捌人はずいぶん稼いだようである。

 

他にも興味深い看板が展示されている。

1904年(明治37年)~

1915年(大正4年)~

 

 

これらは常設されているので、いつでも見ることが可能だ。