下記の記事で、
今までもこのようなものを撮ったことがあるような気がするが、整理ができていないので、埋もれてしまっているかもしれない。
とか
東京放送局聴取章のものはまだ見つけられていない。
と書いた。
どこにあるんだろう?
発見したいなあと思っていた。
何の写真を探していたのか忘れたが、過去の写真を見ていたら、あったではないか!
やはり埋もれていた。
そう、すでに発見済だったことが分かった。
随分前に発見していたのだった。
また、びっくりぽんだ。
最近の朝ドラだと「あきさみよー」かな。
何に「あきさみよー」したかというと、自分の記憶力の無さにだ。
発見日 2020年12月26日
発見場所 東京都北区中十条三丁目
当時はこれの正体が何者かわかっていなかった。
ただ古そうなものだと思って、撮っただけであろう。
これは東京放送局がラジオ放送を開始した当時、最初の2年間(1925年~1926年)のみに配布された聴取章だった。
上で紹介した東京中央放送局のものより更に古いが状態が良く、文字をはっきり読み取ることができる。
とても90年以上前からここに存在しているのものとは思えない。
歴史
1925年
3月1日
東京高等工芸学校の一室から日本初のラジオ試験放送を開始。
放送は、必要な機器や設備が揃わなかったため「試験放送」という名目で行なわれ、受信できたのは東京市(当時)の限られた世帯のみでだった。
3月22日
社団法人東京放送局開局。
7月12日
愛宕山に移転、東京放送局の仮放送は本放送に切り替わり、1日約8時間の放送が始まる。
東京の小学校教員の初任給が月額25円という時代に、鉱石ラジオは30円以上、真空管ラジオは100円から200円と、極めて高価なもので、鉱石ラジオの方が普及していた。
当時、米10キログラムが約3円の時代に聴取料は1ヶ月1円だった。
放送開始時の契約数は3,500件、7ヵ月後には一挙に10万件まで増え、1926(大正15/昭和元)年度末には、聴取契約数は約36万件、普及率は3.0%となった。
第200062番のこの数字は契約番号なのだろうか?
契約数が1926年(大正15年)7月には20万人を超えたそうなので、その可能性がある。
港区愛宕にあるNHK放送博物館には東京放送局(JOAK)、大阪放送局(JOBK)、名古屋放送局(JOCK)のラジオ聴取章が展示されている。
コールサイン(呼び出し符号)とは、無線局の識別ができるようにするための符号で、電波を出している放送局には必ずコールサインがある。
東京放送局のコールサイン“JOAK"の“J"は、1908年(明治41年)、逓信大臣名の公達で、海岸局の局名符号の第一文字として定められたものだが、1913年(大正2年)、国際無線電信条約が発効の際、日本の無線局の符号は、第一文字はすべて国際識別符号“J"を冠することとなった。
第2文字と第4文字は明るく発音しやすいという理由でOとKが、第3文字は第一開局局としてローマ字の第1字Aが選ばれ、JOAKとなった。
同年6月開局した大阪放送局は“JOBK"、7月開局した名古屋放送局は“JOCK"と、第三文字はA、B、Cの順になっているが、その後は必ずしも放送局の開局順になっていない。
大阪放送局のコールサインJOBKは「JAPAN-OSAKA(大阪)-バンバチョ(馬場町) no(の) KADO(角)」と言われていたことがあるらしい。
今の住所は大手前だが、当時は馬場町の一部だったようである。
JOAK東京、JOBK大阪、JOCK名古屋に続く4番目にあたるコールサインのJODKは、なんとの京城放送局(現ソウル)だった。
京城放送局は1926年11月に設立され、翌年1月に試験放送、2月に本放送が始まる。放送局を管轄する朝鮮総督府逓信局は、京城放送局に朝鮮国内に割り当てるJB**ではなく、内鮮一体(日本国内と朝鮮は一体のもの)の国策を理由に国内割り当てのコールサインの配分を要求し、配分を受けたようだ。
このことから当時日本政府が朝鮮をきわめて重視していた姿勢がわかる。
2022年6月14日
再訪して現存を確認してきた。
以前からそうだったと思うが誰も住んでいないと思われる。
いつ解体されるかわからないが、解体される前にこの聴取章を救出したいと思っている。
これも関東大震災、東京大空襲を潜り抜け、90年以上存在している。
今のところこれ1枚しか発見できていないので、36万分の1の生き残りということになる。
いや、NHK放送博物館に1枚あるから、18万分の1ということになるのかな。