北区神谷にはいろいろな旧町名(住居表示前含む)の痕跡などがあった。
①北区神谷町二の○○○○
発見日 2022年6月14日
発見場所 東京都北区神谷三丁目
②北区神谷町三丁目○番二号
発見日 2020年12月26日
発見場所 東京都北区神谷三丁目
現行番地のようだが、神谷ではなく神谷町になっている。
③東京都北区神谷町三丁目二十六番地
発見日 2022年6月14日
発見場所 東京都北区神谷三丁目
住居表示実施前のもの?
④電力プレート
発見日 2022年6月14日
発見場所 東京都北区神谷三丁目
旧「北区神谷町」時代のものとみられる電力プレート。
⑤たばこ小売店
発見日 2020年8月27日
発見場所 東京都北区神谷二丁目
大きさが違う。
たばこ販売店のたばこ小売人には氏名が記載されていない。
どちらが古いのだろう。
たばこ小売店のみアップ
⑥塩小売店
発見日 2020年8月27日
発見場所 東京都北区神谷三丁目
塩小売店の横タイプのもので、営業所、氏名が記載されているものは初めて見た。
⑦非琺瑯町名看板「神谷2丁目32」
発見日 2020年8月27日
発見場所 東京都北区神谷二丁目
⑧非琺瑯町名看板「神谷3丁目24」
発見日 2020年8月27日
発見場所 東京都北区神谷三丁目
歴史
1869年(明治2年)3月10日(旧暦1月28日)
神谷村(現在の神谷とほぼ同区域)が大宮県に編入
1869年(明治2年)11月2日(旧暦9月29日)
大宮県が浦和県(現埼玉県)に改称
1872年(明治5年)1月8日(旧暦1871年(明治4年)11月28日)
東京府に編入
1889年(明治22年)5月1日
町村制の施行に伴い東京府北豊島郡岩淵町に所属
1932年(昭和7年)10月1日
岩淵町と王子町が合併して王子区となり東京市王子区に所属
1947年(昭和22年)3月15日
王子区と滝野川区が合併して北区となり東京都北区に所属
1967年(昭和45年)5月1日
住居表示実施により神谷町1、2丁目から神谷1~3丁目が成立。
地名の由来
元々「かみや」ではなく「かにわ(は)」と呼ばれる地域だった。旗本文書には「賀仁和村」「加仁波之郷」と表記されており、江戸時代には「神谷」で「かにわ」と読ませることが多かった。隅田川あるいは荒川で蟹が捕れたことから蟹庭(かにわ)と呼ばれていたというのが通説である。曲亭馬琴は『兎園小説』や』『曲亭雑記』において、旧名梶原新田の「梶原」が「かぢはら」→「かぢは」→「かには」と転訛したものだと考察する。『南総里見八犬伝』において、犬塚信乃が村雨をすり替えられたのもこの地(「神宮」と書いて「かにわ」と読ませている)から小舟で釣りに行った際であった。1926年(大正15年)に王子電気軌道神谷橋駅が「かみやばし」の読みで設置されたことを契機に、読みも「かみや」に移行した。
たばこ小売店①
たまに見かけるタイプのものだ。
以前紹介した「たばこ小売店 たばこと塩の博物館」の写真に似たようなものがあった。
たばこ小売店②
②はたばこの文字が右書きなので①より古いと思われる。
建物からすると戦前からあったものかもしれない。
質店の蔵
この質店の前の道を歩いていたら、質店のシェパードにめっちゃ吠えられた。
番犬には最適だろう。
神谷小学校の工事中の塀
神谷中学校の工事中の塀
神谷小学校・稲田小学校・神谷中学校は、令和6年4月より、北区初の小中一貫義務教育学校「(仮称)都の北学園」としてスタートする。現在、神谷公園の跡地と神谷中学校の校庭半分の敷地に、校舎を建設中だ。