最近発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて、中野区の旧町名「宮園通」を紹介しよう。
最近このパターンが多いかな。
①中野区宮園通一丁目ニ番地
発見日 2021年6月7日
発見場所 東京都中野区東中野一丁目
②中野区宮園通
発見日 2022年2月25日
発見場所 東京都中野区中野一丁目
宮園通の後が汚れ?シールの跡?で見えない。
キレイにしたいなあ。
③中野区宮園通三丁目二十五番地
発見日 2022年5月21日
発見場所 東京都中野区中央三丁目
上の方がシダの葉に隠れている。
そのうち全部覆われてしまうのではないかと心配だ。
④中野区宮園通り1の8
発見日 2021年6月7日
発見場所 東京都中野区東中野一丁目
マンション名にもなっている。
「宮園通」ではなく「宮園通り」になっている。
渋谷区にも「○○通」という町名があったが、今は無くなくなってしまっている。
「○○通」という町名が23区内に残っているのか、ざっとだが、調べたところ見当たらなかった。
現代の町名としてはふさわしくないということで、消滅してしまっただろうか?
歴史
1967年
住居表示実施により宮園通一〜五丁目から東中野1・2、中野1〜3、中央1〜5になる。
地名の由来
宮前から桃園までを結ぶ通り(現大久保通り)沿いにあるため。
宮園橋
現存する橋の親柱には「昭和7年5月完成」とあり、「中野町誌」(昭和8年 1933年)の橋梁リストに、「橋長6.8m、幅員10.9m、橋種混凝土、河川名宮園川」と記載されている。
橋梁リストの河川名に採用された宮園川は、この時点でも旧来の善福寺分流と混在しており、昭和12年の中野区役所土木課の橋梁リストでは桃園川で統一されていて、使用されたのはごく短時間だったようだ。