今回は文京区で発見した琺瑯製の電話番号プレートを紹介しよう。
東京23区内ではほとんど見かけない。
現存度は旧町名の表札よりはるかに低いだろう。
①電話 小石川 二五〇六番
電話 小石川 四四八〇番
発見日 2020年1月2日
発見場所 東京都文京区西片二丁目
同じお宅にあるが、番号が離れているので、別々に設置されたものだろうか?
②電話 小石川 一七九〇番
発見日 2022年6月18日
発見場所 東京都文京区向丘一丁目
こちらは立派な石の門長に設置されている。
中央区立図書館の地域資料室で戦前の電話番号簿を見ることができる。
それを見ると小石川の局番号は「85」だったようである。
これらのプレートには局番号ではなく、局名が記載されている。
当時は交換手に局番号ではなく、局名を言ってつないでもらっていたのだろう。
電話を設置したら、門等に電話番号プレートを設置するという決まりが、当時あったのだろうか?
電話番号簿があるのだがら、電話番号を人目にさらして公開する必要性はなかった思うのだが、謎である。
現在の公衆電話のように硬貨口はあるものの、5銭を入れたか、10銭を入れたのかは、上に記載されている通り、内部にあるベルの音色で交換手が電話ごしに判断していたというから驚きだ。
うだつのあがる町並みで有名な徳島県脇町の脇町郷土資料館(脇町観光協会)前にこれと同じような電話ボックスがあるそうだ。
公衆電話を設置する際、この町並みにふさわしいレトロな外観にした、ということらしい。
日本で最初の公衆電話ボックスのレプリカは、NTT技術史料館、愛知県犬山市の明治村、横浜市中区山手町などに展示されている。
電話が普及し始めた1902年(明治35年)、中央区では資生堂パーラーがオープンしている。
当時の理髪料が1通話時の通話料と同じ5銭であったのに対し、パーラーのアイスクリームソーダは1杯25銭だったそうで、非常に高価な飲み物だったようだ。