今回は足立区にかつてあった昔の人の名前のような旧町名「五兵衛町」を紹介しよう。
①足立区五兵衛町七五一番地
発見日 2022年1月24日
発見場所 東京都足立区西綾瀬四丁目
②足立区五兵衛町八四?
発見日 2022年6月23日
発見場所 東京都足立区西綾瀬三丁目
配管があり、少しわかりにくい場所に設置されていた。
木製なのによく見つけた。
ほめて遣わそう。
これは、文字がはっきりしているので、老眼でも問題なかった。
表札の上の方にペンキが点々しているのが、マイナスポイントかな。
③足立区五兵衛町八六一番地
発見日 2022年6月23日
発見場所 東京都足立区西綾瀬三丁目
事前のストリートビューでは確認できなかった。
それで、ストリートビューで通れない道にあるのかと思って、現地調査ではその付近を探す。
結果、ストリートビューで通れない道ではなかったが、無事発見することができた。
玄関ではないところでしかも少し上のところに設置されていたので、事前調査のストリートビューでは確認できなかったである。
帰ってからストリートビューを見てみると、確認できるところにあった。
以前は足元付近に設置されていた表札もあったので、この辺にあるだろうという思い込みは捨てないといけない。
歴史
1889年(明治22年)5月1日
綾瀬村成立により、大字五兵衛新田となる。
1932年(昭和7年)10月1日
足立区成立により、足立区五兵衛町となる。
1965年(昭和40年)5月1日
伊藤谷本町、伊藤谷東町、普賢寺町、北三谷町、五兵衛町の一部地域に住居表示が実施され、綾瀬一-六丁目が成立。
1966年(昭和41年)1月1日
五反野南町・五兵衛町・伊藤谷本町・伊藤谷西町の一部地域で住居表示が実施され、西綾瀬一-四丁目が成立。
二ツ家町の全域と四ツ家町・五兵衛町・西加平町・伊藤谷北町・小右衛門町・東栗原町・東島根町の一部地域に住居表示が実施され、青井一-六丁目が成立。
地名の由来
江戸時代初期に金子五兵衛が開墾した「五兵衛新田」が由来になっている。
金子五兵衛は他の者と一緒に武蔵国入間郡金子村(現埼玉県入間市)から転入して開拓し、一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。
五兵衛公園
五兵衛橋
寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村は東西に分断されたので、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置されたのが五兵衛橋だ。
橋は何度か架け替えられている。護岸が高くなったため、昭和47年、橋に陸閘(溢水防止柵)を付けられた。昭和61年(1986)、南に「五兵衛新橋」ができた際には地元の陳情により残ったが、平成10年(1998)、ついに架け替えられた。
昔の五兵衛橋のおもかげは、渥美清さんの昭和55年の作品「男はつらいよ」第26作「寅次郎かもめ歌」で見ることができる。ヒロイン役の伊藤蘭さんが入学する学校は架空の葛飾高校だが、途中で渡る橋が五兵衛橋だ。
五兵衛新橋