ビルのプレートに港区の旧町名「芝西久保桜川町」があった。
発見日 2021年1月23日
発見場所 東京都港区虎ノ門一丁目
芝地区旧町名由来板
明治5年(1872)、水口藩加藤氏、松本藩戸田氏、松代藩真田氏、菊間藩水野氏および諸幕士の屋敷を合併して西久保桜川町となりました。町名は町内を流れていた桜川に由来します。その昔、この付近一帯が田畑であったころ、桜川両岸は桜並木となっていたといいます。
桜川はその後、少しずつ埋め立てられ流域も変わり、下水溝となって大正時代まで存在していました。
歴史
1878(明治11)年11月2日
東京府芝区に所属。
1943(昭和18)年7月1日
東京都芝区に所属。
1947(昭和22)年3月15日
東京都港区に所属。
1977(昭和52)年9月1日
住居表示の実施により、虎ノ門一丁目16~26番に編入となり消滅(港区町名旧新対照表では1976(昭和51)年10月1日)。
地名の由来
町内を流れていた桜川による。
武蔵野市に西久保という町名がある。
関連を調べてみると、
1657(明暦3)年
明暦の大火の後、現在の港区にあった西之久保町(西久保城山町)が北条氏利屋敷となり消滅、町民は寛文2年(1662年)多摩郡牟礼村にて新田開発を命じられ、後に西久保村(西窪村)と称す。
1962年(昭和37年)4月1日
武蔵野市内の町名整理が行われ、大字西窪が西久保・緑町に分割される。
1965年(昭和40年)3月1日
住居表示実施により、西久保1~3丁目成立。
とある。
本村が消滅してしまったという悲しい歴史があった。
武蔵野市の西久保については「旧町名 武蔵野〇西窪」と「旧町名 武蔵野町西窪三谷」で紹介している。