歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

仙石山町會防護團石碑

6月27日、気象庁は「関東甲信地方、東海地方、九州南部が梅雨明けしたとみられる」と発表した。

関東甲信地方は平年より(7月19日頃)より22日早く、昨年(7月16日頃)より19日早い梅雨明けで、統計開始以来最も早い梅雨明けだ。6月中の梅雨明けは、6月29日に梅雨明けした2018年以来4年ぶりとなるらしい。
梅雨はあったのかという感じだ。

ほとんど雨が降らなかった印象だ。
早く梅雨明けし、雨天の探索よりはいいのだが、農作物の影響が気になる。

 

港区虎ノ門(旧神谷町)にある仙石山の痕跡に危機が迫っている。
今回はそれを紹介しよう。

 

発見日  2021年1月23日(再訪日2022年6月27日)

発見場所 東京都港区虎ノ門五丁目

 

仙石山町会図

地図でいうと左から2つ目の坂を上った所にこの町会図があった。

この坂の左側はすべて解体されていて、再開発の真っ最中だ。

地図の上部は既に再開発された地域でアークヒルズ・森タワー・仙石山レジデンス・仙石山テラスなどが記載されている。

 

ごみ収集所に仙石山町會防護團の石碑がある。

随分ぞんざいな扱いだ。
この日はごみ収集日でなくてよかった。

 

正面

地元の町会の防護團(戦時下の消防団のような組織)が昭和13年4月、町内の中心地に碑を建てている。

下の方は埋められているが、何か彫られているのだろうか?

 

左右には何も書かれていない。

上部のコンクリートが一部欠けていたり、ひびが入っている。

 

真上から見たところ。

裏側は隙間がなく、写真を撮れなかった。

 

この辺りは再開発真っ最中だ。

この碑がある裏の敷地内にある建物も解体予定のようだ。

建物を囲んでいる塀に撤去する意味と思われる文字が書かれていた。

この碑はどうなるのだろう?

撤去されるのか移設されるのか、そのままなのか、運命はいかに?

ごみ収集所はどうなる?

 

駐車禁止の看板

 

八幡神社玉垣




東京都心部の地形は起伏に富んでいるのが特徴だが、近年開発の進む虎ノ門~神谷町界隈もその典型だ。
桜田通りの神谷町付近はかつて西ノ久保と呼ばれた低地で、その東に愛宕神社、西に城山、仙石山という高台があり、比高は20m近くある場所もある。
桜田通りから坂を上って仙石山に至ると、一気に視界が開け、目の前に東京タワーが姿を現すことからもその高さが分かる。
ここは約15万年~7万年前にできた都心では最も古く、強固な土地だ。

仙石山という地名は江戸時代、ここに但馬国(現在の兵庫県出石藩仙石家の屋敷があったことに由来する。その後、関東大震災前までは華族となった仙石邸があった。

 

赤い部分が開発前の計画地(空撮写真)

 

以前は、この赤い区域内に江戸時代からあったという我善坊谷(がぜんぼうだに)坂や落合坂があったが、完全に開発の波にのまれてしまい、跡形もない。

我善坊谷とは、龕前坊谷(がぜんぼうだに)の転化と言われている。
江戸時代に二代将軍秀忠の正室である崇源院(すうげんいん/一般にはお江として知られている)が亡くなった時に、この地で荼毘に付し、龕(仏像を納めた仏具)の前に僧坊(僧尼が生活する宿舎)を建てて、冥福を祈ったことから「龕前坊」と呼ばれるようになり、このあたりは地形的に谷だったことから、龕前坊谷になったというのが通説のようだ。

旧所在地:東京都港区麻布台1丁目1と2の間

 

八幡神社玉垣

 

「落合坂」は、坂上は麻布通りに面しており、そこから我善坊谷へと下る坂道で、坂名は赤坂方面から往来する人が、落ち合う場所にあるので落合坂と呼ばれるようになったという説が有力だ。

旧所在地:東京都港区麻布台1丁目1と4の間

 

アークヒルズ仙石山森タワー

麻布グリーン会館や住宅があった地に、「虎ノ門・六本木地区第一種市街地再開発事業」によって、複合用途を超高層に集積させることで地上に広場や緑地を創出させることで実現した複合超高層ビル
ここには出石藩仙石家の屋敷があった。当地一体の高台は仙石山と呼ばれており、名称はそれに由来する。

2009年(平成21年)10月  着工。
2012年(平成24年)  8月  竣工。

 

2022年6月30日再訪

塀は下の方がなくなっていたが、石碑は無事だった。

 

歩道橋撤去のお知らせ

 

変わった形をした鉄骨が組み立て中だった。