歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

ニコライ堂の几号水準点

先日(2022年6月30日)にニコライ堂の横を通ると、土・日に拝観を再開した旨の案内が貼られていた。

 

ようやく東京23区で唯一訪問できていなかった几号水準点を見ることができるとちむどんどんしていた。

 

発見日  2022年7月2日

発見場所 東京都千代田区

 

紅梅坂

本郷通り」から、ニコライ堂の北側を「お茶の水仲通り」の方に上る坂です。もともとは「幽霊坂」とつながっていた坂道でしたが、昭和の始めに「本郷通り」が開通して、途中で分断されてしまいました。ですから幽霊坂の別名もあります。
 昔、この坂を上りつめた辺りに紅梅で知られた光感寺があったことから、紅梅坂または光感寺坂とも呼ばれていました。なお、「埃坂」(ごみざか)などの古名もあったようです。

千代田区観光協会ホームページより

 

門の左側が開いており、ここから入っていく。

 

入るとすぐ左側に重要文化財の案内が設置されている。

昭和三十七年六月二十一日文部省指定
重要文化財
東京復活大聖堂(通称ニコライ堂
この聖堂は明治17年3月に起工し、工期7年を以って同24年に完成したもので、設計者はロシア工科大学教授シチュールポフ博士、工事監督は英国人コンドル博士です。
 頂上までの高さ 35米
 建坪 318坪
 壁厚 1メートル乃 至1,63メートル
 日本最大のビザンチン式建築物として知られています。
 日本ハリスト正教会教団

 

ニコライ堂正面

 

扉に「ニコライ堂拝観のご案内」が貼られていた。
300円!
この日は現金を持ち合わせしていなかったので、拝観はあきらめた。

 

門を入ってすぐ右側に主教館がある。

正面にあるアジサイは見頃を過ぎていた。

ここの右側を進んだ所にある階段付近に几号水準点があるらしい。

 

先を急いではいけない。

まずこの主教館について、調べてみた。

主教館は1874年(明治7年)頃の竣工だそうだ。

ということはニコライ堂より古いことになる。

現在は平屋だが、元々は二階建てだったらしい。
当時は聖堂、聖ニコライの寝室と執務室、事務所、伝教学校の機能を持っていた。
二階部分は関東大震災で崩壊、改修され平屋に変更されたそうだ。

主教館は「東京最古のれんが造」と書いてある記事があった。
そこで、調べてみたところ、東京都都市整備局の資料によると1880年明治13年)の「東京藝術大学赤レンガ1号館」が東京に現存する最古のれんが造らしい。
そして2番目に古いのが1886年明治19年)竣工の「東京藝術大学赤レンガ2号館」らしい。
主教館は1874年(明治7年)頃の竣工なので、主教館の方が古いはずだが、関東大震災後改修されたから、最古だとみなされなくなってしまったのだろうか?

ニコライ堂にばかりに目が行きがちだが、調べてみると主教館も歴史ある建物だということがわかった。

 

さて几号を探しに行こう。

 

この辺りにあるらしい。

 

右側の水色の階段の二段目付近にあった。

 

これは何だ?
何かわからないが、これの右側にあった。

 

これが几号?

モルタルが塗られほぼ壁と一体化しており、他で見た几号とは異なり、はっきりと「不」の形が見えない。

右側のエントランスと水色の階段は後付けらしい。几号水準点は、階段で隠れてしまうところだったようだ。
確かに左側の階段と同じ高さで造られたら、もっと隠れていたかもしれない。

でもこの几号、どうにかならないのかな。
モルタルをはがすわけにもいかないだろうし。

そもそも何でこんな場所に設置したんだ。

 

ここからはニコライ堂の写真

 

横から見たところ

 

本郷通り越しに、ニコライ堂前の標識と一緒に撮る

 

太陽とニコライ堂

左側の建築中の建物とクレーンが邪魔だけど、太陽光線がいい感じはないかと自画自賛

まだ紹介していない几号水準点が残っている。

徐々に紹介していければと思っている。