歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名&電力プレート 白金三光町&芝白金三光町

今回は芝區時代の「白金三光町(しろかねさんこうちょう)」と港区になってからの「芝白金三光町」を紹介しよう。

旧町名の痕跡が比較的多く残っていた。

 

①芝區白金三光町三百三十八番地

発見日  2021年1月28日

発見場所 東京都港区白金六丁目

 

②港区芝白金三光町29

発見日  2021年1月30日

発見場所 東京都港区白金一丁目

港区でこのタイプのものをたまに見かける。

 

③港區芝白金三光町101番地

発見日  2022年2月1日

発見場所 東京都港区白金四丁目

 

④港区芝白金三光町五百五十三番地

発見日  2021年1月28日

発見場所 東京都港区高輪一丁目

 

⑤?白金三光町二五?

発見日  2021年1月28日

発見場所 東京都港区白金台五丁目

三光町と読めるが、その上は消えていて読めない。
白金か芝白金、どちらが書いてあるのだろうか?

 

⑥サンコウ-36

発見日  2022年7月4日

発見場所 東京都港区白金六丁目

茶色のペンキを塗られていて、上部をホースに隠されていたが、よく発見できた。
これは初見のものと思われる。
久しぶりに自分の中での新発見なので、ちんどんどんだ!

だんだん年を取ると感動することが少なくなるような気がする。
だから無理やりでも、ちむどんどんすることにしている。

歴史

1872(明治5)年
武家地跡に白金上三光町、白金下三光町が起立。

1874(明治7)年
荏原郡に所属。

1879(明治12)年
白金上三光町、白金下三光町は白金錦町と荏原郡今里村と合併し、東京府荏原郡白金村を起立。

1891(明治24)年
東京府東京市芝区に編入され、旧今里村区域は白金今里町に、そして字上三光、下三光、字名光、字東名光、字西名光、字卒古台、字松久保、字雷神下となった旧白金上三光町と旧白金下三光町、旧白金錦町は、それらを併せて白金三光町として起立。これにより白金村は消滅となる。

1943(昭和18)年7月1日
東京都芝区に所属。

1947(昭和22)年3月15日
東京都港区に所属。
港区の成立により芝の冠称を除き白金三光町となる。

1967(昭和42)年7月1日
住居表示の実施により、一部が高輪一丁目になる。

1969(昭和44)年1月1日
残りの全域が白金一~六丁目、白金台四・五丁目の一部にそれぞれ編入となり消滅。

 

地名の由来

町域中央、現・白金二、四丁目の境を成す三光坂が由来。
他に下記の説がある。
日月星の三光説
鈷と光の字音が近いので文字を替えたという説
蛍の名所だったためという説
上・下三光の「三光」を採ったという説
名光、東名光、西名光の3つの光からきている説

 

白金の地名の由来

応永年間にこの地を開いた「柳下上総介」氏が、大量の銀(読みはしろかね)を所有していたことから、「銀長者→白金長者」と呼ばれ、"白金"がそのまま地名になったとされている。
銀の読み方と同様に町名も、しろかねと濁らないのが正式で、『小田原衆所領役帳』では"白銀"と記されていたが、読み方はやはり"しろかね"だったようだ。

 

三光坂

本来は坂下専心寺にあった三葉の松にもとづき三鈷(さんこ仏具)坂だったというが、別に、日月星の三光などともいう。

これを読んで意味が分かるだろうか?

もう少しわかりやすく書いてあるものがあった。

明治時代には三鈷坂(さんこざか)、それ以前は三葉坂と呼ばれていた。これは坂の下にある専心寺に三葉の松があり、これが鈷(こ。武具・もりが変じて、密教の仏具となったもの。両端が一つのもの、三つのもの、5つのものなどといくつかのタイプがある)の三又に似ていることから三鈷松となり、さらに転じて三光となったと伝えられている。

NHKの番組「ブラタモリ」の白金の回(2019年6月22日放送分)でも取り上げられていた。番組内では三光坂の思い出として、タモリ上皇后美智子さまも在籍されていたことでも知られる聖心女子学院に思い入れがあり、散策時に聖心女子学院の構内まで入って見学してしまい、不審者扱いされてしまったという若い頃のエピソードを“思い出の三光坂”と称して披露していた。