今回は渋谷区にかつて存在した旧町名「常盤松町」を紹介しよう。
①常盤松65番地
発見日 2021年2月2日
発見場所 東京都渋谷区東一丁目
町名に町が抜けている。
常盤松の碑を発見した(2022年7月4日)ので常盤松町の記事を書こうと思い、調べていたところ、見落としていたもの(渋谷区常盤松町34)があることに気が付き、昨日(2022年7月9日)再訪してきた。
以前も探索したことがあるのかもしれないが、全く記憶がない。
事前調査のストリートビューで確認できなかったので、現地調査に向かった。
所在地付近を探すが、見つからず、結局ローラー作戦を実施することになってしまった。
同じ道を何度も通ったり、見つからない。
完全に不審者。
ここのはずだというところに戻る。
やっぱりここだ!
でも家屋がない。
更地になっていた。
残念。
家に帰ってからストリートビューで再確認にすると見つかったが、2016年1月ととても古い情報だった。
歴史
1966年(昭和41年)4月1日
住居表示実施・町名変更により、一部の道路敷を除いて東と渋谷に分割され事実上消滅した(残余部は同年7月1日に広尾3丁目に吸収)。
新町名が「東」という記号的なものになったのは、新町名を巡って常磐松町と氷川町(渋谷氷川神社に由来する)の住民が対立したため、やはり両町と合併することになっていた恵比寿東から「恵比寿」を抜いた妥協案を採用したためである。
地名の由来
常磐松の地名の由来は、古くからのこの地に「千両の値打ちが付くほどの銘木」と賞賛されていた松の古木、「常磐松」があったことによる。もとの漢字表記は「常盤」であったが、「皿は割れるから」と、「常磐」と改められた。
旧町名案内
常盤松の碑
もとこのあたりにあった皇室の御料乳牛場の構内に常盤松と呼ばれた樹齢約400年、枝ぶりのみごとな松がありました。その松は源義朝の妾、常盤が植えたという伝説があり、また一説には世田谷城主吉良頼康の妾、常盤のことであるといいますが、はっきりしたことはわかりません。
この近くにはかつて渋谷城があり、渋谷一族の金王丸は義朝、頼朝の2代に仕えた臣ですから、常盤御前が植えたという伝説が生まれたのでしょう。
この碑は御料地になる以前に、その土地が島津家の持地だったことがあり、そのときに島津藩士によってたてられました。当時常盤松の代価壱千両といわれたほどの名木で、このあたりの地名であった常盤松町の起源となりました。
東京都渋谷区教育委員会
渋谷区立 常盤松小学校
1925年(大正14年)12月21日、東京府豊多摩郡渋谷町立常磐松尋常小学校として設立された。
渋谷区立 常盤松公園
常盤松会館
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マンション名
結構、常盤松の名称が付いているマンションなどを見かけた。
気が付かなかっただけかもしれないが「東」が付いているものは見つからなかった。
「東」じゃ、名称に付ける気しないよね。
金王八幡宮の大鳥居前のT字路の少し上の右手に入る道で、この八幡通りから常磐松小学校正門へ通じる道をし「さくら横町」と呼んでいたそうだ。
道の左側にモニュメントがある。
歌碑には「さくら横ちょう」と題された加藤周一の詩が刻まれている。
加藤周一(かとう しゅういち)は、当時の東京市渋谷区金王町出身の文筆家で、この通りの先にある常磐松小学校の卒業生だそうだ。
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
想出す 恋の昨日
君はもうここにいないと
ああ いつも 花の女王
ほほえんだ夢のふるさと
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
加藤周一は、その自伝的回想録である『羊の歌』で次のように記している。(以下、『羊の歌―わが回想―』岩波新書、p.57~58より引用)
八幡宮から学校までの道には、両側に桜が植えられていた。その桜は、老木で、春には素晴しい花をつけた。桜横町とよばれたその道には、住宅の間にまじって、いくつかの商店もあり、そこで子供たちは、鉛筆や雑記帳を買い、学校の早く終った時には、戯れながら暇をつぶしていた。からたちの空地のように町から離れてもいず、八幡宮の境内のように男の子だけの遊び場でもなく、桜横町には、男の子も、女の子も、文房具屋のおかみさんも、自転車で通るそば屋の小僧も、郵便配達もいたのである。学校に近かったから、道玄坂などとはちがって、半ば校庭の延長のようでもあり、しかし校庭とはちがって、町の生活ともつながっていた。私は二つの世界が交り、子供と大人が同居し、未知なるものが身近かなるものに適度の刺戟をあたえるその桜横町のひとときを好んでいた。
今は商店も見当たらない。
常盤松町にいた猫
渋谷区立白根記念郷土博物館・文学館にある白松
幹
松の仲間として分類された中国原産の植物で「しろまつ」とも呼ばれています。日本の松とは幹の皮の感じが違いますが、葉は似ています。しかし、個々の葉をよくみると、赤松や黒松が2本なのに対して、これは3本に分かれていることが特徴です。また、樹形も上に向かって合掌するような形になっています。全国的にみても非常に数の少ない稀種です。
この松は、大正の末ごろ、中国北京から持ち帰ったもので、内田治氏のご好意により昭和53年(1978)1月、区に寄贈されました。
渋谷区教育委員会
Hondaウエルカムプラザ青山にこんな木があった。
木つながりということで紹介することにしよう。
神様の木
大きな1本の木は見かけることがあるが、確かにこのような何本もあるようなクスノキは見たことがない。