西国分寺駅から恋ヶ窪図書館に向かう途中、住宅街があったので、何かないかなと探索していたところ、旧町名を発見した。
①国分寺市恋ヶ窪西ノ台七〇七
発見日 2022年7月12日
発見場所 東京都国分寺市西恋ヶ窪二丁目
歴史
1889年
国分寺村、恋ヶ窪村、内藤新田、戸倉新田、本多新田、榎戸新田、野中新田六左衛門組、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田の10村および府中宿、本宿村の一部が合併し神奈川県北多摩郡国分寺村が誕生(町村制の施行)。
1893年
三多摩の東京府移管により東京府北多摩郡国分寺村となる。
1940年
国分寺村が町制施行し、東京府北多摩郡国分寺町となる。
1964年11月3日
国分寺町が市制施行し、東京都で14番目の市として国分寺市が誕生する。
1981年10月1日
町名地番整理により西恋ヶ窪二丁目になる。
恋ヶ窪の地名の由来(角川日本地名大辞典)
東京都国分寺市東・西恋ケ窪。鯉ケ窪とも書く。中世初期に鎌倉街道の宿駅があり、遊妓等もいたことにより起こった地名といい、畠山重忠に寵愛された夙妻大夫なる遊女が、重忠戦死という偽言に迷い、悲しみの余り自ら命を絶ったという伝説が残る。地名の由来については、その他、武蔵国の国府の所在地府中に近い窪地であることによるとか、湧水に恵まれた窪地であるため、鯉を養って旅人に供したことによるといった説がある。