ルミネ池袋の入口にこんなのがあるなんて気が付かなかった。
一見施設名の書かれたオブジェに見えなくもない。
興味がないと目に入っていたとしても、何もないと同じになってしまうのだろう。
それが今までだった。
発見日 2022年7月26日
発見場所 東京都豊島区西池袋一丁目
「METROPOLITAN PLAZA」とルミネ池袋の改称前の名前が入っている。
1992年6月に、東武百貨店の増床と共に「メトロポリタンプラザ」として開業。2010年4月から、地下1階~10階のファッションフロアが「ルミネ池袋」に改称している。
動輪の由来
ここはかつて東京鉄道教習所があり、広大な敷地に校舎、大講堂、図書館、プール、寄宿舎など立派な施設が完備され、多数の鉄道マンが勉学にいそしんだ場所である。
当時の所在地 東京府北豊玉郡西巣鴨町字池袋
敷地及び建物 約37000平方米の校舎、大講堂、寄宿舎など約100棟の建物があった。
存在した時期 大正13年(1924年)~昭和29年(1954年)
またこの地は鉄道開業50周年記念事業の一環として設立認可された財団法人鉄道育英会により設立した東京鐡道中学校が東京鉄道教習所内に開校し、後に東京育英中学、東京育英中学校、東京育英高等学校、芝浦工業大学高等学校と改称し、昭和57年まで存在していた場所である。
存在していた時期 大正13年(1924年)~昭和57年(1982年)
これらの施設は昭和20年4月14日の東京大空襲で一旦消失した。
なお、この地は成蹊学園発祥の地でもあり、若者と教育に由緒深い土地柄である。
「動輪の由来」と書いている割には動輪のことは全く触れられていなかった。
どうなってんの?
そこで調べてみた。
1947年9月11日 汽車会社製 製造番号2558
札幌局配属 苗穂機関区配置
1949年3月1日現在 苗穂機関区
1964年4月1日現在 鷲別機関区
1973年11月30日 鷲別機関区で廃車
動輪の刻印はどこにあるかわからなかったが、その刻印によるとこの動輪は「右側第2動輪」らしい。
動径:1400mm
「動輪の由来」の補足
1909年(明治42年)
鉄道教習所は、鉄道院初代総裁の後藤新平により各鉄道管理局(北海道、東部、中部、西部、九州)ごとに鉄道院職員地方教習所が創設され、東京には、麹町区山下町に鉄道院職員中央教習所が設置された。
1924年(大正13年)
名称を東京鐡道教習所に変え、東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋(現 東京都豊島区西池袋1-11-1 池袋駅南口周辺)の成蹊学園の跡地に開設された。
1954年(昭和29年)
東京・国分寺へ中央鉄道教習所と改称して移転した。
1961年(昭和36年)
中央鉄道学園と改称。
1987年(昭和62年)
国鉄民営化の際、債務返済のため中央鉄道学園は閉鎖され、その用地は売却された。
そして、現在は団地(ゆかり、トミンハイム)や東京都立武蔵国分寺公園、総務省情報通信政策研究所(2004年に目黒区駒場から移転)、東京都立多摩図書館(2017年に立川市錦町から移転)、東京都公文書館(2020年に世田谷区玉川から移転)などの敷地となっている。
ここに旧町名「東京府北豊玉郡西巣鴨町字池袋」の記載があったので、歴史を載せておこう。
明治22年(1889年)4月1日
東京府北豐島郡巣鴨村(庚申塚、新田、宮仲、向原)、池袋村(飛地を除く)、新田堀之内村、堀之内村原新田、中丸村中原、長崎村の一部が合併して巣鴨村が誕生。
大正7年(1918年)7月20日
町制を施行して北豐島郡西巣鴨町となる。
昭和7年(1932年)10月1日
北豐島郡巣鴨町、高田町、長崎町とともに東京市に編入され豐島區になる。
後日、この動輪のことを調べていたら、ホテルメトロポリタンにもう片方の動輪があることが分かった。
しかし、分かってはいたが、すっかり失念しており、別のものを探索するために池袋駅を降りた時突然思い出した。
その時は、ホテルメトロポリタンにあることをすっかり忘れており、ルミネ池袋の飲食店を探しまくっていた。
ない。
どこだ?
ルミネから外に出たら、ホテルメトロポリタンがあった。
ここだったかな?
スマホで調べてみる。
ここだった。
調べたはずなのに・・・。
それは2階のバーオリエントエクスプレスの入口の壁に埋め込まれていた。
発見日 2022年8月23日
発見場所 東京都豊島区西池袋1丁目6番1号
まだ、昼間だったので、バーはオープンしておらず、入口付近は暗かった。
左側第2動輪
特に説明板などはなく、バーの入口にモニュメントとして展示されているだけだった。