荒川区民以外からは足立区の一部だと思われることもある南千住。
そんな南千住の旧町名「南千住町」、新たに発見したものもあるので、併せて紹介しよう。
発見日 2021年3月27日
発見場所 東京都荒川区南千住一丁目
発見日 2022年7月30日
発見場所 東京都荒川区南千住七丁目
発見日 2021年9月11日
発見場所 東京都荒川区南千住六丁目
④ミナミ2-11
発見日 2021年3月27日
発見場所 東京都荒川区南千住二丁目
⑤ミナミ6-16
発見日 2022年8月1日
発見場所 東京都荒川区南千住一丁目
結構わかりにくい路地にあった。
⑥ミナミ7-2
発見日 2022年7月30日
発見場所 東京都荒川区南千住六丁目
ぶら下がっている電力プレート。
その上にも別バージョンの電力プレートがある。
「64」と「88」の数字は何を意味しているのだろうか?
歴史
1889年(明治22年)5月1日
市制町村制により、千住南組の大部分、地方橋場町の大部分、三ノ輪村の大部分および千束村の一部、三河島村の一部と下谷区通新町、下谷区三ノ輪町の飛地が合併され南千住町となる。
1928年(昭和3年)12月
従来の大字・小字を改廃し、一〜十丁目の10大字を設置。
1932年(昭和7年)10月1日
東京市編入により、南千住町は日暮里町、尾久町、三河島町とともに荒川区となる。大字一〜十丁目はそのまま南千住町一〜十丁目となる。
1967年(昭和42年)5月1日
住居表示実施により南千住町1~10丁目から南千住1~8丁目が成立する。
地名の由来
足立区側に設けられた千住宿は、多くの人でにぎわったことから千住大橋を越えて荒川区側の小塚原町・中村町まで宿場町が拡大し、千住下宿と呼ばれ、さらに、明治時代に千住宿南組と呼ばれたことが、現在の南千住の地名の由来となっている。