今回は荒川区にかつて存在した日暮里の旧町名等を紹介しよう。
といっても、「町」が付いているだけなので、旧町名感がない。
といっても、あまり現存していないので、貴重のものだ、と思う。
発見日 2022年8月1日
発見場所 東京都荒川区西日暮里三丁目
次のは「町」がついていないが、住居表示前のもの。
②荒川区日暮里九丁目1100番地
発見日 2020年9月8日
発見場所 東京都荒川区西日暮里三丁目
③東京都荒川区日暮里三丁目
発見日 2023年1月14日
発見場所 東京都荒川区東日暮里
路地があった。
当然、入らないわけにはいかない。
両側が民家が並んでいる。
ドキドキしながら、何かないかなとキョロキョロ。
おっ!こんなところにあった。
木製のものなので、番地までは読み取れなかった。
次は可愛い名前の電力プレートを紹介しよう。
「ニポリ」
別に可愛いくないって?
そうかもしれない。
ニポリ3-58
発見日 2021年9月11日
発見場所 東京都荒川区東日暮里三丁目
これは、おそらく「日暮里町」時代のもの。
「ニポリ」
「ニッポリ」でいいのと思うのだが、なぜこのように省略したのだろうか?
文字数の関係か、バランスの問題か?
理解に苦しむ。
別に苦しむ必要はない。
これがベストだったのだ。
きっと。
そうに違いない。
歴史
1889年(明治22年)5月1日
市制町村制により、日暮里村は谷中本村および金杉村の一部と合併され日暮里村となる。
1913年(大正2年)7月11日
日暮里村が町制施行し日暮里町となる。
1932年(昭和7年)10月1日
東京市編入により、日暮里町は南千住町・三河島町・尾久町とともに荒川区となる。
1966年
住居表示実施により東日暮里・西日暮里に分けられた。
地名の由来
ここはかつて「新堀村」という地名であった。これは太田道灌の家臣の新堀玄蕃がこの地に住んでいたことに由来する説がある。ただし、史料上では既に1448年(文安5年)の熊野神領豊嶋年貢目録に「につぽり妙円」との記載がある。「日暮里」になったのは江戸時代からで、桜やツツジが美しく「一日中過ごしても飽きない里」という意味で「日暮らしの里」と呼ばれたことに由来する。