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鉄道遺産 東村山停車場の碑&鉄道開通100周年記念碑

村山駅西口の駅前広場には、「東村山停車場の碑」がひっそり立っていた。

 

発見日  2022年3月28日

発見場所 東京都東村山市野口町一丁目41

東邨山停車場之碑

東京府知事正二位勲三等 侯爵久我通久篆額   
武蔵西南境為多摩郡汽車自東京経郡中西走至甲斐是謂甲武鉄道
至國分寺村分岐北折経東村山村至川越是謂川越鐡道村在郡北境旧
為野口久米川廻田大岱南秋津五村近歳合為一村改今名方川越鐡道
起工将架橋村北柳瀬川有故淹滞弥久會社因仮設久米川停車場既而
橋成停車場隋廃■行旅往復貨物輸載皆頼停車場焉其廃興置替土地
榮悴所由也於是村人小島證作立川伊兵衛町田六左衛門当間勘左衛
門等拮据經營以図復之其也或損工費或納土地間半歳竟得復置明治
廿八年八月六日也更名曰東村山停車場衆乃謀勒其事於石併■損資
納地者姓名碑陰以伝後就余請文村往昔為鎌倉孔道新田左中将挙兵
勤王路出于此大破鎌倉兵野口徳蔵寺有元弘三年古碑勒戦死者三人
姓名後中將子義興義宗等破足利氏亦係是地願当時武蔵野之地弥望
草蕪■為争戦之衛而今則人烟稠密夷為康荘汽車奔駛又有停車場之
設焉拠今以徴後其蕃庶殷賑駸々無巳為通邑為大都勢所必至而福利
之被其土者将不可測也村人懐土之誠能胎恵後世其可没乎哉乃記以
上石         正四位勲四等文学博士重野安繹撰   
明治三十年四月            熊谷謙吉書   

櫛形板石の記念碑、高さ218cm、幅91cm、厚さ10.5cm、石材は宮城県石巻産。

 

以下は東村山市文化財台帳より

碑文の概略は以下の通り。
明治22年(1889)甲武鉄道新宿・立川間が開通し、まもなくその国分寺駅と川越を結ぶ川越鉄道が計画された。同27年(1894)に国分寺から東村山まで工事は進んだが、柳瀬川の鉄橋架設工事の遅延により、仮設の駅として久米川停車場をおいて国分寺との間の営業を開始した。翌28年(1895)柳瀬川の鉄橋ができてまもなく川越・国分寺間が開通し、久米川仮停車場が廃止されることになった。鉄道の駅があるかないかは、その土地
の盛衰に関わるものとして小島証作、立川伊兵衛、町田六左衛門、當間勘左衛門らが中心となって東村山停車場の設置運動を進め、村内の人々約250人の土地の提供と資金の寄付(碑裏に氏名・金額を刻む。)を得て、ついに明治28年8月6日に東村山停車場を設置することができた。

所在地の変更
設置当初の記録はないが、ふるさと歴史館常設展示室の模型「大正末期の東村山駅西口」作成のための聞き書き調査により、少なくとも大正末期以降は線路側に北を向いて設置されていたことが分かっている。その後、東村山駅の改築により、西口階段下の西武鉄道株式会社所有の敷地に東を向いて設置されたが、再び西口再開発事業にともない移設され、平成21年(2009)8月22日に東村山駅西口駅前広場に西を向いて設置され、現在に至る。

石碑の剥落
平成19年(2007)2月27日、東村山駅西口再開発事業にともない仮置き場へ移動する際、碑の正面向かって真ん中よりやや高い位置の右縁部分(字のない部分、幅約3×長さ8×厚さ2mm)が剥落した。原因は、碑を持ち上げるベルトと碑の縁の擦れによる。移動前に、保険をかけるよう指導したものの実現されなかった。剥落部分は、現在ふるさと歴史館にて保管している。

 

東村山停車場の碑の説明版

何も見えないが、以下が記載されているらしい。

東村山市指定有形民俗文化財

所在地 東村山市野口町1丁目41番地 
指定 平成3年(1991)7月24日指定第23号

東村山は北多摩地域でも早い時期に鉄道が開通した所です。
明治22年(1889)に甲武鉄道(現中央線)の新宿と立川間が開通すると、やがてその国分寺と埼玉県の川越を結ぶ川越鉄道 が計画されました。
そして明治27年(1894)に国分寺と東村山間の工事が完成しましたが、柳瀬川の鉄橋工事が難行したので、やむなく現在の 東村山駅北方に仮設の駅(久米川仮停車場 )を置き、国分寺-久米川仮停車場間で営業を開始しました。
明治28年(1895)、鉄橋も完成し国分寺-川越間が開通するのに伴い、仮設の駅は廃止されることとなりました。
しかし、東村山の人々は鉄道の駅の有無は地域の発展に大きく影響すると考え、約250人もの寄付と土地の提供により、同年8月6日にようやく東村山停車場の設置にこぎつけました。 
当時の人々の考えたとおり鉄道は地域の発展に欠かせないものとなり、その後の東村山の発展の基礎となりました。
東村山停車場の碑は、こうした当時の人々の努力を後世に残すため、明治30年(1897)に建てられたもので、当時は現在のエレベーター付近にありました。 
また、石碑右手の石造物は、由来は不明ですが、野口町1丁目18番地にあったもので、「 嘉永7年8月12日 馬頭観世音 」の銘があります。

平成21年(2009)9月 
東村山市教育委員会

 

鉄道開通100周年 記念碑

明治27年(1894年)国分寺 久米川間に川越鉄道が開通して今年(平成6年)で100周年を迎えました。 往時の東村山駅は現在より所沢寄りにあり、久米川停車場と呼ばれておりました。
 私共は満100年の節目にあたり 歴史を振り返り、まちのさらなる発展と、これからのまちづくりを考える機会とするため、駅周辺の有志が集まり 写真展 お祭り広場 そして臨時列車「銀河鉄道」の運行など多くの記念事業を実施いたしました。
 この事業を記念し未来の市民に継承するため碑をここに建立します。
      平成6年9月吉日
         鉄道開通100周年記念事業実行委員会

2004年頃は東口交番の横に建っていたらしいが、いつ頃かわからないが西口に移転していた。