今後探索していくアイテムのひとつに東京府時代のマンホール蓋を追加した。
まだ、本格に探索を開始して間もないが、訪問しても、東京府時代のマンホール蓋が撤去されていて、新しいマンホール蓋が設置されていることが少なくなく、えっ!なくなっている、と残念な気持ちになる。
渋谷区は東京府時代のマンホール蓋の目撃情報が多い自治体のひとつだと思われるが、かなり撤去されている感じだ。
猿楽橋付近にもあったようだが、歩道を工事した時に撤去されてしまっていた。
猿楽橋の歩道を工事する前にもよく通っていたのだが、その時はマンホール蓋に関心がなく、ただ踏みつけていただけだった。
関心があれば撮れていたと思うと残念だ。
さて、今回はどうだろうか?
残っていてくれるだろうか?
中野駅の北、早稲田通り沿いから少し入ったところから妙正寺川へ続く暗渠がある。
川の名前は特にないらしいが、マニアの間では上高田支流という名で呼ばれている暗渠である。
暗渠の入口(当たり前だが、反対側からだと出口になる)は中野区新井1-3の駐車場脇の茂みにある。
ゴミ置き場兼バイク置場?で見ると草ぼうぼうのここから入る勇気はなかった。
迂回するとこの先に出る道があった。
目的のものがあるかわからなかったので、ここからは戻る時に通った道を撮った写真になる。
早稲田通りからくるとここが出口になる。
こうやって目的をもって暗渠を歩くのは初めてかもしれない。
当然暗渠という言葉は知っていたが、これまではいつのまにか迷い込んでしまい、狭い道だなあと歩いている感じであった。
大好きだわぁ。
こういう路地。
何かあるかもしれないという好奇心が止まらない。
勇気がいるときもあるが、行き止まりでも行ってしまう。
そこに旧町名の痕跡(表札や住所プレート)が隠れていることもあり、ドキドキしながら、侵入するのである。
侵入?
侵入の意味は、他の領分に、不法に押し入ること。無理にはいりこむこと。
これでは不審者だ。
進入の間違いだ。
でも、さすがに人がいると躊躇してしまう。
自分では進入だと思っていても、他人から見ると侵入に勘違いされかねない。
そういう意味で、旧町名探索は、ちょっとリスクがある趣味のひとつなのかもしれないと思う今日この頃である。
既に数百の旧町名の痕跡を発見しているが、それでも、それを発見した時の達成感、写真を撮る時のドキドキ感はいつまでたっても収まらない。
話がずれてしまった。
元に戻そう。
玄関付近に目的のもの一つ目発見。
更に少し進むと目的のもの二つ目発見。
撤去されておらず、残っていてよかった。
二つを並べてみよう。
コンクリート製マンホール蓋で、放射状に並ぶダイヤ型の穴が特徴的だ。
中央の紋章は1943年(昭和18年)7月に東京都が発足するまで存在した東京府の紋章で、この紋章は1931年(昭和6年)から使われているので、設置時期もその間に絞られる。
府道として整備されたような都市計画道路の歩道などに置かれているケースがほとんどで、このような狭い路地に配置されている例は珍しいらしい。
下水道台帳の記録によると、用途は特殊人孔とのこと。
人孔って何?
マンホールは、地下の下水道・暗渠、埋設された電気・通信ケーブルなどの管理(点検・修理や清掃、排気など)を目的として作業員が地上から出入りできるように地面にあけられた縦孔のことである。
manholeという英単語は、man(人)とhole(穴)を組み合わせた語で、日本語では「潜孔」「人孔」といった訳語があるが、建設業界や官公庁を除きあまり用いられていない。
ということでマンホール=人孔だった。
特殊人孔は標準人孔では無いということ。
標準人孔は、自治体などにおいて標準図で規定していることなので、特殊人孔は規定していないものとなる。
といってもどこが特殊なのか、素人には分からない。
ここからは暗渠の道を入口までたどることとしよう。
いったん途切れ、広い道に出る。
直進し、車の横を通る。
突き当りを左に曲がる。
突き当りを左に曲がる。
奥に入口が見えるが、直進せず、電信柱を右に曲がる。
写真に撮っていないが、右に曲がった後、最初の角を左に曲がって、突き当りを左に曲がると入口に着く。
調べてみるとマンホール蓋はとても奥が深そうだ。
無数にと言っていいほど存在している(約1,500万枚のマンホール蓋があり、デザインの種類は、過去のデザインも合わせるとおよそ1万2千種類と言われている。)から、東京府時代のものだけにしておかないと、大変なことになりそうだ。
今後、少なくとも23区内に現存している東京府時代のマンホール蓋はコンプリートしたいと考えている。
撤去されてしまう前に、頑張って23区内を探索しまくるぞ!!
プラス、デザインマンホール蓋も。