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旧町名 江東区深川門前仲町

今回は江東区の旧町名「深川門前仲町」を紹介しよう。

 

江東区深川門前仲町一丁目  番地

発見日  2021年5月29日

発見場所 東京都江東区門前仲町

木製の表札だ。

文字が細いくて読みにくいが、木製の表札としては、まだ状態がいいほうだろう。

しかし、番地は自分の目では読み取れない。

 

②薄くて読みにくいような表札が1枚あったのだけど、表札の上に新しい表札が貼られていて、確認することができなかった。
建物がなくなっていなく、旧町名が記載されている表札は多分下にあるものだと思われるので、まだ消滅していないとしておこう。

 

歴史

明治11年1878年)11月2日
東京府下に15区6郡が置かれた。江東区の前身にあたる2区のうち深川区はこの時設置された。

1889年(明治22年
市制・町村制が施行され、同年5月1日、東京市(15区からなる)が成立。深川区東京市の区となった。

1911年(明治44年
深川区の町名は、富岡公園地と、埋立地に新設された洲崎弁天町を除く全ての町名に「深川」を冠称していたが、町名の簡素化が実施され、「深川」の冠称は廃止された

1931年(昭和6年
門前仲町、黒江町、蛤町2、門前山本町より深川門前仲町一〜二丁目が成立。

1943年(昭和18年)7月1日
東京府東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、深川区城東区を含む35区は東京都直轄の区となった。

1947年(昭和22年)3月15日
35区は22区に再編される。この時、深川区城東区は廃止され、両区の区域をもって新たに江東区が設置された。

1969年(昭和44年)
住居表示を実施し、深川門前仲町から現在の門前仲町に町名変更を行った。

 

地名の由来

富岡八幡宮別当寺である永代寺の門前に由来する。

別当寺 神社に付属して置かれた寺

富岡八幡宮の東隣には三十三間堂があり、西隣には富岡八幡宮別当寺院(神社に付属して置かれた寺)の永代寺があった。明治に入ると神仏分離令により廃寺となる。
この地には現在も永代寺というお寺があねが、このお寺は、後年、かつての永代寺の塔頭が名称を引き継ぎ再興されたもの。

 

門前仲町の火の見櫓

鉄骨造地上二階建築面積23.45m2 高さ9m

江戸時代、江戸の市中には火災の早期発見のため多くの火の見櫓が立っていました。高さ三尺(約9m)ほどの櫓の上部には早鐘が取り付けられいち早く火災の発生を知らせてくれました。
 深川の南部にも佐賀町下の橋際(佐賀二)富吉町(永代一)門前仲町などに火の見櫓が立てられていました。
 なかでも門前仲町の櫓は今の門前仲町の交差点付近かつての富岡八万宮一の鳥居近くにありました。周辺は永代寺富岡八幡宮三十三間堂といった江戸名所が集まり現在同様に門前町としておおいににぎわっていた場所です。
 この櫓は深川の繁華街を守ると云う大きな役割をはたしていました。「災害のない街」を願う気持ちは今も昔も変わりません。

深川江戸資料館   久染 達夫 文
門前仲町二丁目町会
      町会長 大竹 康夫 書
平成14年3月

 

山本一力 辰巳八景「仲町の夜雨」より

ー宝暦六(一七五六)年一月二十六日。江戸は五日続きで、朝から北風が強く吹いていた。
 永代寺門前仲町の辻には、黒く塗られた高さ六丈(約十八メートル)の、火の見やぐらが建っている。元禄三(一六九〇)年に普請(ふしん)されて以来、火の見やぐらは黒塗りだ。
 過ぐる六十六年の中で、何度か大きな地震に逢った。しかし差し渡し二尺(約六十一センチ)の、土佐魚梁瀬(やなせ)の大杉を柱に用いたやぐらは、大きく揺れながらも倒れなかった。
 地震をくぐり抜けたやぐらは、富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)とともに、深川住民の鎮守(ちんじゅ)様である。辻を往きかう人のひとの多くは、火の見やぐら見上げて手を合わせた。

 

火の見櫓近くの店の前に立っている牛がいた