江東区の旧城東区の区域を集中的に、いや、1日なので、集中的にはとは言えない、残暑の厳しい中(最高気温30.9℃)、ざっと探索してきた。
その努力の結晶を、今回から4回シリーズで紹介していこう。
第1回 亀戸町
第2回 大島町
第3回 北砂町
第4回 南砂町
旧城東区の区域にあった旧町名は町がなくなっただけで、面白みがないが、今のところそれほど多くは発見できていない。
思ったより現存率は少ない印象だ。
ここで、ざっと歴史を振り返ってみよう。
江東区は以前、深川区と城東区に分割されていた。明治維新後に江戸が東京府となり、1878(明治11)年の郡区町村編成法により、15区の一つとして深川区が誕生。亀戸、大島、砂村は南葛飾郡に編入された。
その後、1932(昭和7)年に亀戸町、大島町、砂町が合併して城東区となり東京市に編入。このとき、東京市区域は35区となっていた。
そして1947(昭和22)年3月、東京都深川区と城東区が合併し、江東区が誕生した。
それでは第1回目は「亀戸町」を紹介しよう。
①江東区亀戸町五ノ一八一
発見日 2022年9月12日
発見場所 東京都江東区亀戸五丁目
②江東区亀戸町五の二七二
発見日 2022年9月12日
発見場所 東京都江東区亀戸五丁目
道路の反対側で工事をしていたので、慌てて撮ったせいか、少しボケてしまった。
③江東区亀戸町六丁目一八番地
発見日 2021年9月18日
発見場所 東京都江東区亀戸六丁目
表札にフックが取り付けられていたが、何を掛けるつもりなのだろうか?
歴史
1889年(明治22年)5月1日
町村制の施行に伴い、東京府南葛飾郡下8村の各一部と本所区の横十間川以東の区域が合併して亀戸村が発足(カッコ内は残部の編入先)。
亀戸村の一部(東京市本所区、東京市深川区、吾嬬村、大島村)
柳島村の一部(東京市本所区)
深川出村飛地(大島村)
北本所出村飛地(東京市本所区、大島村)
南本所出村飛地(東京市本所区、大島村、砂村)
小梅村飛地(東京市本所区、大島村)
中ノ郷村飛地(大島村)
押上村飛地(本所区)
本所区:亀戸町、本所瓦町、本所五ノ橋町、本所松代町四丁目
1900年(明治33年)7月19日
亀戸村が町制施行して亀戸町となる。
1925年(大正14年)11月10日
12の大字名が整理統合され、大字一~九丁目となる。(小字は廃止される。)
1932年(昭和7年)10月1日
南葛飾郡全域が東京市に編入。亀戸町の区域は城東区となる。
亀戸町の大字一~九丁目はそのまま城東区亀戸町一 ~九丁目の九か町になる。
1947年(昭和22年)3月15日
城東区が深川区と合併して江東区を新設。
1968年(昭和43年)
住居表示実施により亀戸町一〜九丁目から亀戸1〜9丁目が成立。
地名の由来
地名の由来にはいくつかの説がある。一つは、亀形の井桁がある亀の背の甲から水が湧き出る亀ケ井という古井戸があった。もう一つは、この地が島であったころ、形が亀に似ていたからというものである。更に、「かみど(神戸)」であったという説もある。