今回は千葉県野田市で発見した旧町名を紹介しよう。
発見日 2020年5月26日
発見場所 千葉県野田市野田
野田上町について調べてみたが、野田人車鉄道の駅にあったくらいのことしか見つけらなかった。
野田人車鉄道(のだじんしゃてつどう)は、千葉県東葛飾郡野田町(現・野田市)に1900年から1926年まで存在した人車軌道、およびその経営会社である。町内の工場と江戸川や野田町駅(現・野田市駅)とを結び、醤油の輸送を行なっていた。
1900年12月8日、醤油工場が並ぶ野田町の目抜き通り上に敷設された本線格である野田下町-郵便局前と、下河岸へ向かう支線である野田上町-今上、その途中から分岐して上河岸とを結ぶ野田栄町-中野台が開業し、これに合わせて工場・蔵への引き込み線も敷設された。
歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、野田町、堤台村、中野台村、清水村の一部、上花輪村の一部、桜台村の一部、今上村の一部が合併し東葛飾郡野田町が成立する。
1950年(昭和25年)5月3日
東葛飾郡旭村、梅郷村および七福村と合併し野田市を新設する。
野田の地名の由来
諸説あり、有力な説に「野田右馬助という武将が館を構えたことに由来する」というものがあるが、「野田の地名を取って野田右馬助を名乗った」とする説も存在するため定かではない。