松戸駅を降りた時、この道標を探索することを忘れていた。
事前の調査で、存在を確認していたのたが、所在地まで確認していなかった。
それで探索対象からも記憶からも漏れていたのだった。
しかし、これを探すでもなく適当に歩いていたところ、偶然発見することができた。
水堰橋を渡る。
右下に道標が見える。
タイトルの「平潟遊郭道標」は正式名称ではない。調べてみてもただ「道標」とあるだけだったので、自分が便宜上付けた名称である。
発見日 2022年9月22日(再訪日2022年9月29日)
発見場所 千葉県松戸市根本
道標
上部
左右を示す指の絵、なかなかユニークである。
左 右と彫られている。
中央部
薄くて読みにくいところもあるが、以下の文字が彫られている。
流山
道
野田
平泻
道
遊郭
この道標も「平潟」ではなく「平泻」となっている。
「潟」の略字「泻」「潟(臼の部分が旧)」は秋田の大潟、松江の白潟などにも使用習慣があるらしい。
このような地域の実情や文化的背景を元に作った文字のことを地域文字という。方言漢字とも呼ばれるものだ。
松戸市の平潟も仲間に入れてほしいが、旧町名ではだめだろうなあ。
下部
これも読みにくい。
根本川岸組合
「根本川岸組合」を調べてみたが、情報を見つけることができなかった。
道標の側面や裏面には何も彫られていなかった。
裏面
真上
道路の片隅によく撤去されずに残っていたものだ。
ここは公道上なのだろうか、それとも角地で隅切りされているので、谷口ビルの私有地なのだろうか?
ビルの私有地だとするとオーナーが残すようにしたのかもしれない。
平潟遊郭の名前が現物として残っているのは、これだけであると思われるので、平潟遊郭の痕跡としてこのまま残してもらえるとありがたい。
以前は「センダンヤ松戸シティホテル(旧ホテル千壇家)」の入口にも道標があったそうだ。
近年改修工事を行われたようなのだが、その時から行方不明らしい。
案内板もあり、以下が記載されていたそうだ。
道しるべ
この道標は大正末期根本川岸道路改修事業が行われたときに建てられたもの
江戸から水戸街道を下り葛飾橋を渡ると松戸宿です
松戸根本で坂川に懸る松の木橋を渡り坂川に沿って流山街道にでて野田に通じる道と 一方平潟遊郭を経て江戸川の小向渡(百姓の渡し)に至る道の分岐点が千壇家前でした
ここで紹介した道標も大正末期の同時期に建てられたのかもしれない。
2022年9月29日
「センダンヤ松戸シティホテル(旧ホテル千壇家)」を探していたが、すぐに見つからず、随分離れた所まで行ってしまった。
地図を確認する。
あれっ、さっき通った所だった。
元の道を引き返す。
えっ‼
解体中であった。
気が付かなかったはずだ。
中を覗けるところがあったので、覗いてみると、「SENDAN-YA WEEKLY」の文字が見えた。
解体工事は7/5(火)からスタートしたそうだ。
工事完了は来年2023年3月末を予定しているようだ。
これで「センダンヤ松戸シティホテル」の入口にあった道標は永遠の謎になってしまった。