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旧町名&町会会員プレート 葛飾区柴又町

今回は葛飾区の旧町名「柴又町」と町会会員プレートを紹介しよう。

 

発見日  2022年9月26日

 

葛飾区柴又町二丁目六〇三番地

発見場所 東京都葛飾区柴又五丁目

店舗の裏口と思われるところに設置されていた。

表札ではないが、旧町名が書かれていれば合格なのだ。

 

次に紹介する2枚の表札は完全版ではないが、今のところこれらしか発見することができていない。

 

葛飾区柴又町〇丁目〇〇〇番地

発見場所 東京都葛飾区柴又三丁目

旧番地の上から現在の番地が上書きされている。

 

葛飾区柴又町〇丁目〇〇〇番地

発見場所 東京都葛飾区柴又五丁目

町の文字が見えないが、柴又町時代のものと判断していいだろう。

シールが貼られ、現在の番地が書かれている。

 

④柴又町会会員プレート

上部の柴又のロゴ?は「又」の字が「柴」の四方を囲んでいるようなデザインになっているように見える。

 

歴史

1932年(昭和7年
東京市に併合され葛飾区柴又町と名乗り、題経寺界隈を1丁目とし他2および3丁目を設けた。

1967年(昭和42年)
住居表示の変更が行われ、同区新宿町4丁目の半部を併合。新域に柴又1-3丁目と町名を付し、旧町を同4-7丁目と改め今日に至っている。

 

地名の由来

721年の戸籍に「嶋俣」という地名が書かれている。この「しままた」が「しばまた(芝俣、柴俣、柴又)」に変わっていった。嶋俣の嶋は、土砂がたい積して島のように土地が高くなっている場所のことで、俣は、川が合流したり分かれたりする場所のことだ。嶋俣という地名は、大昔の土地の様子からつけられたと考えられている。

 

柴又と言えば寅さんなので、これを載せないわけにはいかない。

平日だったので、あまり人はおらず、人がいなくなるまでの待ちタイムは、それほどなく、イライラせずに、写真を撮ることができた。

 

寅さんとさくら

寅さんの視線の先にさくらがいる。

 

フーテンの寅

寅さんは損ばかりしながら生きている
江戸っ子とはそういうものだと
別に後悔もしていない
人一倍他人には親切で家族思いで
金儲けなぞは爪の垢ほども考えたことがない
そんな無欲で気持ちのいい男なのに
なぜかみんなに馬鹿にされる
もう二度と故郷になんか帰るものかと
哀しみをこらえて柴又の駅を旅立つことを
いったい何十辺くり返したことだろう
でも 故郷は恋しい
変わる事のない愛情で自分を守ってくれる
妹のさくらが可哀想でならない
――ごめんよさくら いつかはきっと偉い
兄貴になるからな――
車寅次郎はそう心に念じつつ
故郷柴又の町をふり返るのである
      一九九九年八月 山田  洋次


見送るさくら

 さくらは失恋して旅に出る寅を駅まで
見送ることにする
「いいんだよ、忙しいんだろお前」と
言いながらもその思いやりが
みにしみるほど寅は傷ついていた
 駅前でさくらは立ち止まる
「それじゃお兄ちゃん身体に気をつけてね」
「ああ」と無造作にうなずいて駅舎に
向かう寅の足がふと止まりふり帰る
「おい」
「なあに」
「満男に一生懸命勉強しろと言っとけよ」
「うん、わかった」
乱暴な口調で言いすててスタスタと
改札口にむかう寅
 さくらは踵を返し、秋の終わりを思わせる
冷たい風が吹く中を家路につく

 

2017年3月25日、『男はつらいよ』の寅さんの故郷である柴又駅の駅前広場にて、
寅さんの妹・諏訪さくらの銅像『見送るさくら』像の除幕式が行われた。

1999年、柴又の駅前に振り返る寅さんの姿を彫った『フーテンの寅』像が設置された。それから、たびたび多くの人から寄せられていたのが、振り返る寅さんの視線の先に見送るさくらさんがいてほしい…という声。そして、寅さんが柴又駅前に立って18年目となった2017年、ついにそのファンたちの願いが実現した!

 

葛飾柴又 寅さんふるさと名言集 〈第8作 寅次郎恋歌〉

「日暮れ時、畑のあぜ道を
一人で歩いていると考えてごらん
庭先にりんどうの花が
こぼれるばかりに咲き乱れている農家の茶の間
灯りがあかあかとついて
父親と母親がいて
子供がいて、賑やかに夕飯を食べている。
これが本当の人間のくらしというものじゃないかね」

 

映画を見たことがない方はいても、寅さんを知らない方はあまりいないのではないだろうか?

自分も父がテレビを見ているとき一緒に見ていた記憶がある。

柴又を訪れると、その頃のことを思い出す。