歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

町会会員プレート 五分一町会員

江戸川区松島を探索していたところ、五分一町という町会のプレートを3枚発見することができた。

普通は1枚発見できただけで満足してしまう。

しかし、この日はこれを目的に探すつもりはなかったが複数枚発見することができた。

 

発見日  2022年10月8日

発見場所 東京都江戸川区松島

 

五分一?

ごぶんのいち?

違っていた。

「ごぶいち」だった。

 

旧町名なのだろうか?

調べてみるとかつては西小松川村の字名だったようだ。

今昔マップでも1939年までの地図には「五分一」が載っていた。

 

「五分一」の名前の由来は諸説ある。

・権兵衛の淵が五分一に変化した。
・5つあった集落の1つ。
船橋あたりから日本橋まで五分の一あたりだから
・この辺は、土地が痩せていて、収穫が他と比べると五分の一位だから。
・運河の通行料の徴収。

上と同じものもあるが、

①「権兵衛さん家の淵」が元でゴンブチ、それがなまってゴブイチ
②湿地だったから余りに貧しくて、2割の税金(年貢米)で勘弁してもらった
天領だったので税率が優遇されていた
④川魚の産地だった。魚の税金は2割だった。(魚はお米に換えて払ったとも)
⑤川の通行料(税)
日本橋から船橋までの5分の1の地点

 

 

全国には現存しているところがいくつかあるようだ。

・栃木県河内郡上三川町五分一

・長野県長野市高田五分一

兵庫県南あわじ市福良五分一町

 

五分一橋

ここに五分一橋がありました。
江戸時代から既に架けられていたようですが、建設年代は特定できていません。
この地は、江戸と下総佐倉を結ぶ元佐倉道の要衝にあり、逆井の渡しと小岩の渡しをいきかう旅人で、古くから賑わっていたようです。
昭和5年(1930)に、五分一橋は鉄筋コンクリートの橋に架け替えられました。人馬がいきかう時代から自動車の時代まで、長く人びとの往来を支えつづけてきた橋です。
昭和57年(1982)に、南北を流れていた川が埋め立てられると、川に架かっていた五分一橋の使命も終わりを迎えることとなりました。

平成14年3月 江戸川区教育委員会

 

五分一橋交差点

この交差点がある「五分一通り」は千葉街道の一部だったが、現在は街道から外れてしまい、約1.4㎞の直線道路となっている。

ちなみに、千葉街道の現在の位置づけは、国道14号線の千葉県の愛称道路名と東京都の愛称道路名とのこと。起点は日本橋、終点は千葉市中央区までとある。

 

五分一町会

 

国旗掲揚

西小松川五分一町会
五分一在郷軍人
   青年
五分一各婦人会

 

五分一児童遊園

 

電柱番号

 

五分一珈琲

五分一通り沿いの古い民家をリノベーションして、2021年1月19日にオープン。

 

旧町名としての痕跡と言えなくもない「五分一」の町会会員プレート。

その他にも「五分一」の名称が数多く残っていた。

表札等が現存していなくてもこのような旧町名の痕跡と言ってもいいのではないかと思っているもの(あくまでも個人的な意見なので認めてもらわなくても構わない)が残っていることをこのブログでは伝えていきたい。