今回は世田谷区の旧町名「玉川中町」を紹介しよう。
以前発見したものもあるが、今回訪問して新たに発見したものもある。
最初、旧町名の探索を始めた頃は、ひとつ発見できればいいと思っていたが、だんだんとそれでは満足できなくなってきた。
複数の目撃情報があるものは全部発見しなければ気がすまなくなってきたのだ。
たまにネットに目撃情報がないと思われるものを発見することがあり、それを「おまけ」と勝手に呼んでいる。
中々「おまけ」に出会うことはないが、「おまけ」と思われるものを発見した時は、ちむどんどん、もとい、ばえ~である。
このくらいにして、発見したものを紹介することにしよう。
発見場所はすべて東京都世田谷区中町である。
①世田谷区玉川中町一丁目十四番地
発見日 2022年10月10日
え~、テープが貼られてしまっていた。
訪問するのが遅かったようだ。
しかし、あきらめずに、よく見てみた。
肉眼ではうっすらであるが、「世田谷区玉川中町一丁目十四番地」の文字が確認できた。
写真でもなんとか確認できると思う。
よ~く目を凝らして見てみて。
ほ~ら、見えてきたでしょう。
②世田谷区玉川中町1丁目55番地
発見日 2022年10月10日
③世田谷区玉川中町一ノ六三
発見日 2021年5月6日
④世田谷区玉川中町一丁目六五ノ七
発見日 2021年5月6日
世田谷区立玉川中町公園
歴史
1889年(明治22年)
それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、野良田村は玉川村大字野良田となった。
1932年(昭和7年)
世田谷区成立時に、玉川村大字野良田は玉川中町1・2丁目となった。
1969年(昭和44年)2月
住居表示の実施に伴う町区域の変更で、周辺の町との間で境界の整理が行われて、中町1~5丁目に区画された。
地名の由来
同地は江戸時代初期に、「野良田」という名で現れる。何もない野原を意味する「野良」が開墾された耕作地であるから「野良田」と呼ばれるようになった。1932年(昭和7年)、「野良田」の名が田舎めいているという住民の意見を考慮し、位置的に玉川地域の中央にあることから玉川仲町とされた。1969年(昭和44年)の住居表示の際、現在の形である「中町」となった。この「中町」は、「商業的・行政的な拠点」という意味はなく、単に地理的な「中央部」という意味しかない。
世田谷区ではこのようなシールタイプのものも見かける。
これのほうがコストがかからなそうだが。耐久性はどうなのだろうか?