今回は世田谷区の旧町名「玉川等々力町」を紹介しよう。
結構痕跡が残っていた。
①世田谷区玉川等々力町1ー72
発見日 2022年10月10日
②世田谷区玉川等々力町一の七三
発見日 2022年10月10日
③卋田谷区玉川等々力町二丁目19番地
発見日 2020年8月6日
「世」の異体字「卋」が使われている。
「卋」には以下の意味もあった。
上が上は「十」、下は「廿」になっている。
三十年間。
親のあとを継いでから、その地位を子に引き継ぐまでの期間。
世の中の「世」というのは数字の30を意味する「丗」が元の字だと言われている。
なぜ30が世界を意味するかと言うと、昔は人生がほぼ三十年と考えられていたので、人生を「丗」とし、その間に経験する世の中を「丗」と書いたかららしい。
④玉川等々力町2丁目30
発見日 2021年5月10日
文字が薄くなっているが、読めるだろう。
⑤世田谷区玉川等々力町2-78
発見日 2021年5月10日
⑥世田谷区玉川等々力町3ノ3ノ4
発見日 2022年10月10日
歴史
1889年(明治22年)
それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、等々力村は大字等々力となった。
1912年(明治45年)
府県境界の変更があり、多摩川右岸にあった区域は神奈川県となり、左岸にあった神奈川県の一部を編入した。昭和7年、世田谷区成立時に、玉川村大字等々力(飛地を除く)の区域は玉川等々力町1~3丁目に区画された。
1970年(昭和45年3月)
住居表示の実施に伴う町区域の変更により、旧玉川等々力町1丁目のうち丸子川(旧六郷用水)以南の区域を玉堤1・2丁目とし、その他の区域は等々力1~8丁目に区画した。
地名の由来
「トドロキ」あるいは「トドロ」という地名は全国に多い。たいていは、川の流れの激しいところや滝のあるところである。等々力渓谷が今の渓谷の深さになるまでにはいくつかの段階があり、途中に滝ができたりそれが崩壊したり、そしてまた滝ができたりを繰り返したのであろうと推測される。その崩壊の音はまさに轟くような音がしたので、「トドロキ」という地名になったと思われる。