旧町名「玉川○○町」シリーズ第4回目の今回は、玉川瀬田町だ。
「玉川○○町」は結構現存している感じだ。
特に探そうとしなくても探索しているとそれほど苦労せずにあちこちで発見することができた。
①世田谷区玉川瀬田町860
発見日 2020年8月6日
この琺瑯町名看板は貴重だ。
23区内には、ほとんど旧町名の琺瑯町名看板は存在していない。
数えるほどだ。
今回の探索では、これを見る予定を入れてはいなかったのだが、環八を渡らなくてよかったのに間違えて渡ってしまい、瀬田に入ってしまった。
そうすると遠目にこれが見えた。
ちょうどこの町名看板の前に工事の作業員が立っていた。
邪魔だなあ。
「すみません。」と言ってどいてもらい、この写真を撮った。
道を間違えたおかげで、再会することができた。
町名看板の記載事項についてあれこれ
・製造原価で小売販売
これで利益は出ていたのだろうか?
「価」の字が「にんべん(イ)」に「西」になっている。
異体字でもなさそうだ。
誤字か?
調べてみると、こう書いたことがある方が散見された。
・家具のデパートスナムラ
西中延2-1-20にあったようだ。
ストリートビューで見てみると、跡地にはマンションが建っていた。
こう書いたけれど、わさわざストリートビューで確認してくれる方はいるだろうか?
別に確認してくれなくてもいいのだけどね。
自分で確認すればいいことだから。
でも間違っているかもしれないので、時間のある方は、確認してみてね。
・バス(東京駅-雪ヶ谷間)
この経路のバスがあるのか調べてみた。
かつての東急バス「雪が谷線」が該当しそうだ。
1947年(昭和22年)に100系統として東京駅南口~洗足池で開通。翌1948年(昭和23年)、雪が谷まで延長、さらに1966年(昭和41年)に丸子橋まで延長された。
東京駅南口 - 京橋一丁目 - 新橋駅 - 大門 - 田町駅 - 品川駅 - 御殿山 - 五反田駅 - 平塚橋 - 中延営業所 - 洗足池 - 雪が谷 - 丸子橋(都営バス品川営業所と共同運行)
ここで"雪が谷" "雪谷" "雪ヶ谷"の違いが気にならないだろうか?
えっ?
気にならない?
普通、気になるでしょう。
気になったら自分で調べてみよう。
・中延営業所下車スグ前
中延営業所は、名前からすると中延駅の近くと勘違いしそうだが、最寄り駅は荏原中延または旗の台だった。
1981年(昭和56年)6月22日をもって中延営業所は廃止されたそうだ。
・電)荏原(78)8161,8162,8163,8164
回線が4本あったとは、結構大きなデパートだったのだろうか。
②東京都世田谷区玉川瀬田町199番地
発見日 2022年10月13日
③世田谷区玉川瀬田町318
発見日 2021年5月4日
④世田谷区玉川瀬田町三三四の二
発見日 2021年5月4日
⑤玉川瀬田町735番地
発見日 2022年10月13日
⑥東京都世田谷区玉川瀬田町七三七番地
発見日 2022年10月13日
⑦世田谷区玉川瀬田町八七九
発見日 2020年8月6日
⑧世田谷区玉川瀬田町881番地
発見日 2020年8月6日
⑨世田谷区玉川瀬田町892
発見日 2022年10月13日
歴史
1889年(明治22年)
それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、瀬田村は大字瀬田となった。
1912年(明治45年)
府県境界の変更があり、多摩川右岸にあった区域は神奈川県となった。昭和7年、世田谷区成立時に、玉川村大字瀬田の区域は、丸子川以北が玉川瀬田町となった。また、丸子川以南と大字諏訪河原字向河原をもって玉川町を新設した。
1968年~1971年(昭和43年~昭和46年)
住居表示の実施に伴う町区域の変更で、玉川瀬田町は瀬田1~5丁目、玉川町は玉川1~4丁目に区画された。
地名の由来
「瀬田」は「瀬戸」がなまったもので、「瀬戸」とは狭小な海峡という字義であった。しかし、海のあるなしにかかわらず、狭い出入口をいうようになり、狭い谷地も「瀬戸」というようになった。「瀬田」「瀬戸」という地名は、狭い海峡のみでなく内陸部の山間や丘陵地等の谷地に多く見られる。多摩川沿岸から台地中の谷の多い相当広い区域を含めて古くは「セト」と呼んでいたものがいつしかなまって「セタ」となったようである。
瀬田中ふくロード
塀に設置されていた。
まだ、あったかもしれないのだが、ちょうど下校時間だったらしく、子供たちがぞろぞろ歩いていた。
変質者と間違えられては大変なので、早々に立ち去った。
帰ってから調べてみたが、これらに関する情報は発見できず。