歩・探・見・感

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旧町名&電力プレート 飯能市本町〇丁目

久しぶりに埼玉県飯能市を訪れた。

飯能市といっても、ピンとこない方が多いだろう。

ムーミンのテーマパークがあるところと言えば、あっ、聞いたことがあるという方がいるかもしれない。

当然ながら、今回は、その紹介ではない。

飯能市で発見した旧町名の痕跡達の紹介である。

 

発見日  2022年10月11日

 

まずは、電力プレートを紹介しよう。

 

①ホンイチ-13

発見場所 埼玉県飯能市稲荷町

「ホンイチ」は本町一丁目の略のようだ。

「本町」は現存している町名だが、丁目はなくなっている。

 

「本町1」の街区表示板

飯能市の記載がないので、これを見ただけだと、どこの自治体のものかわからない。

住居表示は実施されているようなのだが、資料不足でいつ頃実施されたのかは不明。

 

違うタイプの電力プレート

 

一丁目町内会案内図

1区から13区まであるが、小字みたいなものだったのだろうか?

この地図では飯能駅前に「丸広百貨店」があるが、2009年8月25日に飯能駅前の旧飯能店を閉鎖し、9月11日に旧東飯能店を新「飯能店」として移転開店し現在に至っている。

跡地には2013年6月10日より埼玉りそな銀行飯能支店やスーパーバリュー飯能店が移転した。

 

飯能市一丁目周辺図

「本町一丁目」となっておらず、何故かただの「一丁目」になっている。

 

次は表札にいきたいところだが、表札は発見することができなかった。

 

飯能市本町二丁目九八番地

発見場所 埼玉県飯能市仲町

 

③二丁目-18

発見場所 埼玉県飯能市稲荷町

これは旧町名の街区表示版なのだろうか?

 

二丁目町内会

この中に山車が格納されているのだろう。

 

二丁目山車

飯能市ホームページより

二丁目山車(にちょうめだし)は、明治初年に旧砂川村五番組(現立川市)で建造され、大正9年(1920)に飯能二丁目地区が取得したものです。当初は「八王子型人形山車(はちおうじがたにんぎょうだし)」という、屋根中央部に一本柱を立ち上げ、先端の台座に人形を飾る形式でした。取得後に電線事情のため平屋根に改修されましたが、平成22年度から24年度にかけて復原修理が行われ、現在は建造当初の人形山車の姿に復されています。

構造は梁間1間、桁行2間取りで、台輪上に6本の柱を立て、前部が囃子舞台・後部が楽屋の2部構成です。単層唐破風屋根銅板葺きで格子垂木、台座四方に擬宝珠高欄を巡らし、楽屋脇には脇障子を立てています。車輪は四つ車で前輪は馬車式です。

鬼板(おにいた)・懸魚(げぎょ)・脇障子(わきしょうじ)・妻飾り(つまかざり)など約40ヶ所にものぼる彫刻は、鶴・亀・竜・鳳凰などの瑞獣や浦島太郎と竜宮乙姫、金太郎と山姥といったお伽話を題材に江戸後藤派系彫刻師の手によるものとされ、現存する南関東の山車彫刻のなかでも優れた作品の一つに数えられます。

当山車には領収証など取得時の経緯や改修の様子が解る文書が多数現存するとともに、江戸後期から明治前期にかけて八王子周辺地域一帯で盛んに建造された「八王子型人形山車」の遺構を有していることからも貴重です。

 

歴史

1889年
町村制施行に伴い、高麗郡飯能町・中山村・久須美村・小瀬戸村・大河原村・小岩井村が合併、飯能町となる。

1896年3月29日
高麗郡が廃止され入間郡編入入間郡飯能町となる。

1943年4月1日
入間郡飯能町・精明村・南高麗村・加治村・元加治村が合併し、飯能町となる。

1954年1月1日
市制施行により飯能市となる。

 

飯能町時代の痕跡も発見したかったのだが、今回は発見することができなかった。