歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

鉄腕アトム像 埼玉県飯能市

今日、2022年10月22日は暦の上で最上吉日とされる「天赦日(てんしゃび・てんしゃにち)」と大安が重なる日だ。
天赦日とは「天が万物の罪を赦(ゆる)す日」とされ、何をやってもうまくいく日だと言われている。

このブログを訪問された皆さんにとって良い1日でありますように。

 

飯能市の観光案内板で見つけたアトム像。

是非行かなくては、と先を急ぐ。

 

発見日  2022年10月11日

発見場所 埼玉県飯能市飯能223-1

 

あいにくの曇り空で、アトムが暗くなってしまった。

やはり桜の季節が良かったな、と思う。

 

高さは台座を入れると約3メートルもある大きなもので、銅像の大きさは、等身大の身長1.4メートル。

 

「人と人 人と自然 人と機械

が いつまでも 仲のよい

ともだちで ありますように」

と刻まれている。

この銅製プレートは予算が足りなくなり、当初は付けられていなかったらしい。
その話を、除幕式の後の帰りの車内で手塚先生に話したところ、先生が、除幕式の前に行なった講演の謝礼の封筒を差し出して、「これ使ってください」と言われたそうだ。

 

横から見たところ

 

後ろ姿

後ろから見たら、ジェット噴射で飛んでいる姿だった。

 

製作したのは飯能市に工房を持つブロンズ鋳造作家・広瀬敬二さん。銅像の耐久性は何と100年以上だそう。

 

歴史が刻まれていた。

当時は、青年会議所の事業ということで、公共の土地には立てられなかったので、能仁寺の敷地内の公園の一角を20年間という契約で借りて、そこに立てられた。
現在の場所とは道路をはさんだちょうど反対側になる。

1983年5月29日、アトム像は除幕式の日を迎えた。

完成から20年目の2003年11月15日、像の所有・管理は飯能市に移管され、現在の場所へ移転した。そのときの除幕式には手塚先生の奥様の悦子夫人が出席されたそうだ。

 

鉄腕アトム像の説明

この銅像は1983年に(社)飯能青年会議所十周年記念事業の一環として、この地域のシンボルとして親しまれるようにと、ニコニコ池ともだち広場に立てられ、落成式には手塚治虫氏もお見えになり除幕されました。世界で唯一の銅像です。
2003年この地に移設されました。

飯能市にアトム像がある理由についてはカンタンに書かれていただけなので、少し調べてみた。

虫プロ社員で「野口種苗研究所」のご主人である野口勲さんが、鉄腕アトム像の建立を企画し、その実現に尽力されたされたそうだ。

野口さんは1964年に手塚先生が社長をしていた虫プロ出版部に入社。
最初の仕事はアトムファン向けの会報『鉄腕アトムクラブ』の編集。その後、すぐに雑誌『COM』が創刊されて、手塚先生の『火の鳥』の担当になる。

虫プロに2年間在籍して退社。その後、フリー編集者として大都社版『奇子』の出版などに関わった後、実家の野口種苗研究所を継ぐが、それからも手塚先生との交流は途切れることなく続いていたそうだ。

手塚先生は、1980年頃、自身の自宅を飯能市内に建てようと考えていたこともあるようだが、家族やスタッフの意見を総合した結果、自宅は東久留米に、仕事場は新座にと決めたそうだ。

自宅兼仕事場を建ててもらう計画が実現しなかったため、アトム像だけでも作ろうということで、当時、飯能青年会議所副理事長だった野口さんが提案し、実現したとのこと。

自宅兼仕事場の候補地が、現在はこども図書館が建っているところで、当時は旅館の駐車場だったらしい。

そのこども図書館の近くに行ったことがあるが、そんなことがあったとは知らなかった。

 

除幕式の写真

鉄腕アトム』は雑誌『少年』に昭和26年(1951)から17年間連載された人気漫画で、設定されたアトムの誕生日は2003年4月7日だったそうだ。

またまだ時代は全然追いついていない。

アトムが実現するのはまだまだ先のことになるのだろう。

 

台座の下にタイムカプセルが埋められていたそうだ。
カプセルの中には、市内の小・中・高校生や一般市民から公募した「21世紀への手紙」の他、『鉄腕アトム』の単行本などが収められていたそうだ。
鉄腕アトムの誕生日である建立から20年目の2003年4月7日に開けられたらしい。

 

このプレートには「世界で唯一の銅像」と書かれているが、手塚先生の死後、何個か作られており、手塚先生の母校でもある大阪教育大学附属池田小学校西武池袋線大泉学園駅にもある。

大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市

手塚治虫さんの母校で、2008年11月1日に創立100周年を迎えた大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)に、「鉄腕アトム」の石像が校舎玄関前に設置され、2008年10月20日、除幕式が行われた。
アトム像は高さ約2メートル。穏やかな表情のアトムが地球を抱き、台座の銘板には「地球とそこに棲むすべての生物を愛します。生命を大切にしてほしい。その思いを次世代に継承していってほしい」と記されている。

西武池袋線大泉学園駅の北口

2015年4月4日、西武池袋線大泉学園駅の北口に「アニメ・イチバンのまち」練馬を象徴する新名所、大泉アニメゲートがオープンした。
大泉アニメゲートは西武池袋線大泉学園駅の北口に設置された歩行者道路。 現地には、フィルムをかたどった3つのゲートが用意され、それぞれの周囲に練馬区ゆかりのキャラクターたちの等身大ブロンズ像が設置されている。 ブロンズ像は、『鉄腕アトム』のアトム、『銀河鉄道999』の星野鉄郎メーテル、『あしたのジョー』の矢吹丈、『うる星やつら』のラムと4作品5キャラクターとなっている。

大泉学園は、「アニメーション発祥の地」と呼ばれる。それは1956年(昭和31年)東大泉に東映動画社(現東映アニメーション)が東映動画スタジオを作ったことに始まる。その後、1961(昭和36年)に手塚治虫が富士見台に手塚動画プロダクション(のちの虫プロダクション)を設立するなど、それ以降多くのテレビアニメがこの地大泉で制作された。

 

飯能の地名が出てくる唯一の手塚作品は、『三つ目がとおる』第100話「メダルの謎」(『週刊少年マガジン』1978年第7号掲載)らしい。
見れる機会があったら、確認してみてはどうだろうか?