歩・探・見・感

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電力プレート カイジン-18 千葉県船橋市

問題

カイジン」を漢字で書くと、どのように書くか?

次の3つから選んでみよう。

①怪人

②海神

③海人

5秒以内に答えてね。

いーち

にー

さーん

しー

ごー

はい、終了

 

答えは・・・

②の「海神」だ。

 

発見日  2022年11月5日

発見場所 千葉県船橋市海神

「海神町」時代のものと思われる。

 

歴史(船橋市ホームページより)

江戸時代から明治期にかけては、海神は、海神村と西海神村に分かれており、別の村であった。
海神は、「船橋海神」とも呼ばれ、船橋宿の一つであったし、西海神は、「行徳海神」とも呼ばれ、栗原八ヶ村の一つであった。
明治22年の町村制施行時に、海神は船橋町に、西海神は葛飾村にそれぞれ入った。
後、船橋市誕生時に市の一員となる。

 

当地は、もとは東葛飾郡船橋海神村と西海神村であった。

1889年
町村制施行時、前者は船橋町大字海神、後者は葛飾村大字西海神となった。

1931年
葛飾村は町制施行し、葛飾町となる。

1937年
船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村が合併して船橋市が成立。海神と西海神は船橋市の大字となった。

1940年
船橋市は市内の大字を廃して「町」に再編。この際、西海神は「海神町東1丁目・海神町西1丁目・海神町南1丁目・海神町北1丁目」(1丁目を東西南北に分ける)、海神は「海神町2〜5丁目」となった。

1965年
住居表示実施により、南本町が成立。

1966年(昭和41年)6月1日
住居表示実施により、(新)海神二〜六丁目が成立。

1967年(昭和42年)6月1日
住居表示実施により、(新)海神一丁目が成立。

神町東1丁目・海神町西1丁目・海神町南1丁目・海神町2丁目・海神町3丁目は住居表示未実施地区として存続している。

 

地名の由来(船橋市ホームページより)

地名の由来としては、次のような伝説が有名である。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が、当地へ賊徒平定にやって来たとき、海上に光り輝く船があった。
近づいてみると、柱に神鏡がかかっており、それを浜に持ち帰り、祀った場所が海神である。


船橋市船橋市デジタルミュージアム
ふるさと船橋の地名を知る
ふるさとの地名(改訂版) ――船橋の地名の由来を探る――

江戸時代・明治初期の村名

 海神と西海神は江戸時代~明治には全く別の村であった。海神は船橋海神とも呼ばれ、船橋宿の一員であった。一方西海神の方は行徳海神とも呼ばれ、山野・印内等と共に栗原八ヶ村の一つであった。
 この両村は明治二十二年の町村制施行時に海神は船橋町に、西海神は葛飾村に入った。その後、昭和十二年の船橋市誕生時には、両地区ともその一員となり、十五年の新町名設定では五つの町名に分割され、昭和四十一・二年には過半が住居表示替えとなった。この昭和の地区の変遷は非常にこみいっており、一々書き切れないほどである。
 海神の語義については次の伝説が有名である。……日本武尊(やまとたけるのみこと)が当地へ賊徒平定にやって来た時、海上に光り輝く船があり、近づいて見ると柱に神鏡が懸かっていた。それを浜に持ち帰って祀った場所が海神である。……
 ただし、これはあくまで伝説である。海神は文字通り海の神を祀る神社から起こったものであろうし、日本武尊の伝説からは、海を越えてやって来る漂着神が連想される。海神の入日神社、西海神の竜神社はいずれも、参道が海から続いており、この両社もしくはどちらか一社が、海神の地名の起源であろう。両地区に関する江戸時代以前の古文書は知られていないが、古代にさか上る地名と考えられる。