歩・探・見・感

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旧町名&電力プレート 本庄市七軒町

今回は約2年ぶりに本庄市を訪問し、旧町名探索などを行った。

以前訪問した時(2020年4月28,30日)は、旧町名にほとんど関心がなかったので、積極的に探索することはしなかったが、今回はそれを大きな目的として訪問した。

本庄市の旧町名を調べていたところ、wikiには旧本庄町域の通称町名として諏訪町、台町、本町、照若町が記載されていた。
本庄市郷土叢書第6集 本庄市の地名① -本庄地域編- 本庄教育委員会」には《小字名》の中の城下のカッコ内に宮本町、泉町、上町、仲町、七軒町(しちけんちょう)、本町、台町、照若町の8町名の記載があるが、諏訪町は記載がない。1877年(明治10年)の「地誌書上帳」には、上記(仲町は中町)と諏訪新田、伊丹堂が記載がある。
この諏訪新田から諏訪町が成立したのだろうか?

 

前回撮った写真を調べていたら、仲町を発見していた。更に今回、七軒町、台町、照若町、諏訪町の通称町名(旧町名)を発見することができたので、それらを順次紹介していくことにしよう。

 

発見日  2022年11月18日

発見場所 埼玉県本庄市銀座

 

本庄市七軒町二七〇一

 

②シチケン-2

 

七軒町会館

七軒町のことを調べていたら、新聞記事を見つけた。

本庄市の七軒町自治会役員が同自治会の積立金700万円を使い込んでいたことが2019年7月11日、分かった。役員は6月16日に解任され、同19日には全額を返済。

以前自分が住んでいたマンションで管理人が管理費を着服した事件があったことを思い出した。

 

七軒町の山車

大正12年より町内の人たちの手で数年かけて製作された。現在の形になったのは昭和初期と言われ、人形は数種類あり年ごとに替えていたといわれている。現在の加藤清正像は昭和8年に製作された。

 

本庄のチンチン電車 七軒町停車場跡記念碑

この写真は前回訪問した時に撮ったもの。
今回はこの存在をすっかり忘れていた。
昨年投稿されている方のブログを見ると、きれいになっている。
新しいものに置き換わったのかな。

この地は、大正四年から昭和五年まで、本庄・児玉間7.1kmを本庄のチンチン電車と呼ばれ、市民に親しまれて運行した路面電車、本庄電気鉄道「七軒町停車場」の跡地です。チンチン電車の速度は時速22.2kmまさに自転車ほどのスピードですが、今思うと地球に優しい排気ガスのない乗物で、現代に残っていればと惜しまれます。 当時の運行は上下九本、客車の後に屋根のある貨車とない貨車を連結して当時、八高線ガード下にあった児玉駅まで25分かけて走りました。この碑は、七軒町停車場の在りし日を偲んで有志の手で建てられたものです。

本庄市

本庄市観光協会

記念碑建設委員会

平成二十一年四月 吉日

停車場は以下の通り。
本庄(ほんじょう) - 七軒町(しちけんちょう) - 伊丹堂(いたみどう) - 西冨田(にしとみだ) - 四方田(しほうでん) - 高関(たかせき) - 蛭川(ひるがわ) - 吉田林(きたばやし) - 児玉(こだま)

本庄電気鉄道については多くの方が記事を書いているので、興味がある方は検索をしてみてはいかがだろうか。

 

歴史

中山道が整備され、本庄宿が誕生する。ここは、交通拠点としての地の利があり、中山道を中心に越後、信州、周辺各地への分岐点となった地域。当初本町・中町・上町からはじまった宿内も、新田町、寺坂町、七軒町、台町へと膨れあがり、天保14年(1843)には人口4,554名、家数1,212軒と、中山道最大の宿場町にまで発展した。

1889年(明治22年)4月1日
町村制の施行により、本庄宿から児玉郡本庄町となる。

1954年(昭和29年)7月1日
児玉郡本庄町・藤田村・仁手村・旭村・北泉村が合併(新設合併)し、本庄市となる。

1954年(昭和45年)9月1日以降
住居表示事業の実施