歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 八王子市散田東町

調べてみたところ、前回、東京都八王子市に訪問したのは約2年前の2022年10月20日、26日のことだった。

久しぶりの訪問だ。

そして、今回が八王子市の初めての記事になる。

 

ちょうど「第43回 八王子いちょう祭り」が開催されていた。 

事前に調べておけばよかった。
第43回交通安全クラシックカーパレードが開催されており、トヨタ2000GTなど50数台が参加していたようだ。

いちょう祭りとは(八王子いちょう祭り祭典委員会ホームページより)

八王子市追分町から高尾駅入口まで、ほぼ4kmにわたる甲州街道国道20号)の両側に、約770本のいちょう並木が続き、季節に応じてそれぞれの風景で街を彩り、特に秋になると美しく黄葉し、道行く人の目を楽しませてくれます。
八王子いちょう祭りは、その黄葉の時期に合わせて開催されます。
このいちょう並木を守り育ててきた沿道の人々や、新旧の市民、さらに、学生や若い市民たちとの交流を通じて、八王子の街を愛する心をお互いに確かめ合いつつ、育てる機会を作り、併せて、自然と心のふれあう地域文化を創造し、地域の発展と社会的な拡がりを作ることを目指して、市民の活力を生かして協働のまちづくりを推進するため、有志市民により企画され、多くの市民の参画を得て市民手づくりの新しい祭りとして実施運営されています。

 

そんな日にいくつか旧町名の痕跡を発見したので、順次紹介していくことにしよう。

 

発見日  2022年11月19日

発見場所 東京都八王子市散田町

 

散田東町町会

 

散田東町会館

歴史

1667年(寛文7年)
検地によって、現在の散田町、並木町、山田町の全域、めじろ台のほぼ全域、東浅川町東側の三田地域、台町の一部が武蔵国多摩郡散田村として確定する。

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、神奈川県南多摩郡散田村が下長房村、下椚田村、館村、寺田村、大船村と合併し、横山村が成立する。

1955年(昭和30年)4月1日
横山村が八王子市に編入され、大字散田となる。

1956年(昭和31年)
旧横山村のうち大字散田の字中散田と字寺上が(旧)散田町に、字下散田が散田東町となる。

1981年(昭和56年)
住居表示の実施に伴い、(旧)散田町が散田町四丁目・五丁目、散田東町が散田町一丁目 - 三丁目となり、散田東町は消滅する。

 

地名の由来

諸説あるが、

片倉城の重要な耕作地であった三つの田んぼ「散田(現在の散田町一・三・四丁目付近)」、「三田(現在の散田町五丁目から東浅川町東側の三田地域付近)」、「山田(現在の散田町二丁目から山田町・めじろ台付近)」から
広園寺のある付近の土地を「山田(さんだ)」と呼んだことから
請作させて地代を取る田地を意味する「散田(さんでん)」から
等が由来とされている。