歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

町名表示板 平安京大宮大路正親町小路角

大宮通を下ってきた。

信号が点滅していた。
次の目的地は、中立売通を渡ったところにある。
慌てて走って渡る。
渡ってから、何を思ったか、渡ってきた歩道を振り返る。

えっ?

あれは、仁丹の町名表示板か?

こんなところにあったっけ?

信号が変わるのが待ち遠しい。

ようやく変わった。

戻って確かめる。

 

発見日  2022年11月14日

発見場所 京都府京都市上京区○○糸屋町(○○はどう書いていいのかわからない。) 

平安京? 

大宮大路?

正親町?

小路角?

?だらけだ。

 

突然、玄関が空き、ご主人らしき方が出てきた。

びっくりぽんだ

「すみません。この写真を撮らせていただきました。これは作られたんですか?」
「作った方にもらったんです。」
(心の声:誰に作ってもらったんだ?)

この町名表示板についていろいろ説明してくれた。

「大宮大路は今は大宮通で、正親町はなんと読むかわかりますか?」

「まさちか、ですか?」

「おおぎまちです。」

「読めないですね。」

「正親町小路は前の道で今は中立売通です。市電が走るので、広くしたんです。どこから来たんですか?大阪?」

「埼玉県です。」

「私は越谷に40年間住んでいました。」
(越谷とは埼玉県にある越谷市のこと)

まさかやー。

話しかけてくれたのだから、他にもいろいろ聞けばよかったのかもしれないが、出かける所だったろうし、引き止めてはいけないと思い、「ありがとうございました。」と言って、立ち去る。

(会話の内容は、こんなことを話したなという自分のあてにならない記憶の中から引っ張り出したものなので、正確ではないことをお断りしておく。)

こんなの作っていいのかと思ったが、京都仁丹樂會さんに問い合わせてみたところ、「仁丹町名表示板をモチーフにしたものは、たまに見かけます。」とのことだった。
それほど珍しいものではないらしい。

他のも見てみたいが、どこにあるのかわからない。

 

大宮大路(おおみやおおじ)
平安京大内裏の東側に面する大路。
大路名の「大宮」とは皇居という意味で、大内裏の東側を通ることからこの名が付いた。
現在の通りは大宮通(おおみやどおり)

 

正親町小路(おおぎまちこうじ)
一条大路と土御門大路の中間に位置する小路。
小路名は、平安時代西洞院大路との交差点の南東角に正親町(皇族の名籍をつかさどる役所「正親司(おおきみのつかさ)」の下級役人などの宿所)があったことに由来する。
現在の通りは中立売通(なかだちうりどおり)

 

大路・小路とは
平安京の街路には、幅8丈(約24m)以上の大路と幅4丈(約12m)の小路とがあった。

 

京都市電(きょうとしでん)
京都市交通局が運営していた市電(路面電車)である。1895年に京都電気鉄道によって日本最初の一般営業用電気鉄道として開業され、1912年の市営路線開設、1918年の全面市営化を経た後、1978年9月30日限りで全廃された。

電気鉄道事業発祥地

日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。
即ち明治二十八年二月一日京都電気鉄道
株式会社は東洞院通り七条下る鉄道踏切
南側から伏見下油掛通りまで六キロの間
に軌道を敷き電車の運転を始めた。
この成功を機として我が国電気鉄道事業
は漸次全国に広がり今日の新幹線電車に
まで発展することになったのである。
よってこの八十周年にあたり先人の偉業
を讃えてこの記念碑を建てる。

日本国有鉄道
京都市交通局
関西電力株式会社
阪急電鉄株式会社
京阪電気鉄道株式会社
近畿日本鉄道株式会社
阪神電気鉄道株式会社
南海電気鉄道株式会社
京福電気鉄道株式会社
鉄道友の会京都支部

所在地    下京区塩小路通東洞院南西角
建立年    1975年
建立者    日本国有鉄道
寸 法    高148×幅69×奥行37cm