この日は奥多摩町を探索する予定であったが、諸事情により急遽変更することにした。
どこを探索しようかと迷った末、千葉市にすることにした。
以前も探索したことがあるのだが、その時の目的は、千葉市内に現存する町名看板を発見することだった。
地図も持ってこなかったし、旧町名が存在しているのかもわからず、足の向くまま、気の向くままの探索になるだろう。
千葉市は千葉県の県庁所在地だが、今まで紹介していなかったので、今回が千葉市の初投稿となる。
以前訪問した時の記憶も薄れ、ほぼ何の情報もない状態だったので、千葉駅にある観光案内所に立ち寄り、千葉市観光ガイドマップを入手した。
その説明に県下一の花柳界として蓮池横丁があったと紹介されていたので、千葉神社参詣してから、そこに行ってみることにした。
蓮池通り
この看板を掲げている店の2階から三味線の音が聞こえた。
『蓮池』は、旧千葉市の中心地区であった吾妻町(現中央区中央)の一画で、料亭や芸妓置屋などがあった花街の通称だったそうだ。
当時は軍人やお医者さん、旦那衆、政治家などでたいへんに繁盛したそうだ。
栄えていた蓮池だったが、昭和20年7月7日の空襲(俗に言う七夕空襲)によって焼野原となってしまった。
蓮池の由来
蓮の池があったことから、蓮池と呼ばれていた。
そのような場所に葉っぱが邪魔だが、旧町名が覗いていた。
発見日 2022年11月25日
発見場所 千葉県千葉市中央区中央
いつもだったら、葉っぱをどかして撮るのだが、人通りがありそうなので、それはやめた。
見たい部分が見えているので、問題ないだろう。
周りはほとんどが新しい建物ばかりなので、結構奇跡的な存在ではないか思う。
中央の歴史
1970年(昭和45年)千葉市吾妻町1~3丁目・通町と本町1~3丁目・院内町の各一部から中央が起立。
吾妻町は1936年(昭和11年)に起立し、もとは千葉市千葉・寒川の一部で江戸期には裏上町・裏中町・裏下町と称し、本町通と並行して裏町通を形成していた。
地名は由緒ある地名が多く一部の町名を採用することも相互折衷することも出来なかったため、千葉市の中心部であったことから「中央」と命名した。
ミタカ寿司
木造の建物が気になり、写真を撮る。
営業している雰囲気は感じられない。
元は「春月」という料亭だったらしい。
ミタカ寿司の左隣の建物だ。
調べていたらDeepランドさんのブログにたどり着いた。
そちらの情報の参照させていただいた。
昭和10年の地図には、「山本」という料亭が載っていたらしい。
その後、昭和30年代には「割烹梅松」、「割烹一力」と屋号を変えていたようだ。
結構立派な造りのようだが、現在は見ての通り、木塀が壊れ、手入れがされていない。
廃墟になってしまったようだ。
かつての姿が蘇ることはないのだろうか?
商工案内板
この図にはミタカ寿司が掲載されている。
ここに掲載されている千葉パルコは2016年11月30日閉店したそうだ。
跡地には、地上31階、高さ107.34m、総戸数397戸の超高層タワーマンション「エクセレント ザ タワー」が建設中だ。
竣工は2023年12月中旬予定、入居開始は2024年2月下旬予定らしい。