この日もやってしまった。
以前書いた下記の記事と同じことをまたもやしてしまった。
池袋駅で西武池袋線に乗って大泉学園町から探索する予定だったのだが、何を感違いしたのか、また、東武東上線に乗ってしまったのだ。
改札に入ってから気が付いたのだが、気が付くのが遅かった。
次の電車が準急で、最初に止まる駅が成増駅で、乗車時間は9分。
しかたない、また、成増駅経由で探索しよう。
成増駅で降りて、板橋区内、和光市内を探索すると、見落としていたものをいくつか発見することができ、この間違いも、結果的にはよかった。
この旧町名もそんな中で発見したものだ。
成増駅経由で探索をしていなければ、この発見はなかっただろう。
と言っても、現町名は町が取れただけなので、それほどの発見ではないが、旧町名には変わりない。
発見日 2022年12月1日
発見場所 東京都練馬区土支田二丁目
「としだ」と読むのだと思っていたので、変換するが出てこない。
「どしだ」と読むのだった。
こんな辺鄙なところにわさわざ旧町名を探索しに来る方は、あまりいないだろう。
失礼、調べていたところ、102soさんも訪問されていた。
目的地に向かう途中で偶然に発見したものなので、よく探せば、もっと発見することができたかもしれない。
歴史
江戸時代は武蔵国新座郡土支田村で、上組、下組に別れていた。うち、現在の土支田となるのは下組の方である。
1869年(明治2年)
上組が上土支田村、下組が下土支田村と区別されるようになる。
1889年(明治22年)
上土支田村が東京府北豊島郡石神井村上土支田に、下土支田村が東京府北豊島郡上練馬村下土支田となる。
1891年(明治24年)
石神井村上土支田が埼玉県新座郡榑橋村と合併し、東京府北豊島郡大泉村上土支田となる。
1932年(昭和7年)
大泉村上土支田が東京府東京市板橋区東大泉町に、上練馬村下土支田が板橋区練馬土支田町となる。
1947年(昭和22年)
板橋区から練馬区が分区し、板橋区東大泉町が練馬区東大泉町に、板橋区練馬土支田町が練馬区土支田町となる。
1975年(昭和50年)
住居表示の実施により、土支田町の大部分が土支田一丁目から同四丁目となる。
地名の由来
次の二説がある。
かつてこの地に土師器を造る集団がいたことから、「土師田」が転じたもの。
仏田・神田を意味する「斎田」(ときた)か「粢田」(しときた)が転じたもの。