歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

鹿苑寺(金閣寺)探索記録 

訪問日 2022年12月6日

 

金閣寺を訪れたのは中学校の修学旅行以来だろうか?

となると約四十数年前のこと、約半世紀前ということになる。

ひぇ~。

そんな経つんだ。

 

入口である総門にあった。

たぶん誰も撮らないだろう。

表札

文字がかなり薄くなっているが、「京都市北区金閣寺町」と書いてあるのだろうから、1955年(昭和30年)9月1日以降に設置されたものだろう。

京都市上京區金閣寺町」と書かれた戦前のものが見たかったなあ。

かつては「金閣寺町」の仁丹町名表示板もあったのだろうか?

銀閣寺町」のものは平成版が2枚設置されているが、「金閣寺町」の平成版の設置の予定はないのだろうか?

 

電話番号プレート

十三番だって。

この番号の前が気になる。

 

ここからは美しい鹿苑寺舎利殿金閣」を見ていただこう。

色々なアングルから撮ってみた。

鏡湖池(きょうこち)に映る姿も黄金に輝いている。

 

 

⑰階段を上ったところにある高台から見た金閣

舎利殿の屋根にある鳳凰がよく見える。

 

⑱夕佳亭脇から見える金閣

 

どうだっただろうか?

どこから見てもビューティフル!

 

これから紹介するものは、金閣に目を奪われて、素通りしてしまうものもあるかもしれない。
わき役になってしまうかもしれないが、歴史を感じる素晴らしいものだ。

 

鏡湖池(きょうこち)に浮かぶ葦原島(あしはらじま)

鏡湖池には葦原島など大小の島々、畠山石などの奇岩名石が配されている。

 

方丈と陸舟の松

足利義満遺愛の盆栽を移し帆掛け舟の形に仕立てたと伝えられる五葉の松であります
樹齢は約六百年
陸舟(おかふね)の松とも呼ぶ

この松は、大原の宝泉院にある「五葉の松(ごようのまつ)」、洛西の善峯寺(よしみねじ)の「游竜の松(ゆうりゅうのまつ)と並んで、“京都三松”のひとつに数えられている。

 

陸舟の松の後ろの建物は方丈

応仁の乱にて焼失してしまい、その後、延宝6年(1678)の江戸中期に再建された建物である。
金閣の放火の際には焼けずに残り、今の鹿苑寺のなかでは最も古い建物だそうだ。

 

龍門の滝

この滝は2.3メートルもの高さを一段落としにしたもので、龍門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだ鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。いままさに跳ね上がらんとする龍の姿が、滝壷の所に斜めに傾いた動きのある石で表されています。

 

夕佳亭

安民沢をすぎて山路を登ると、夕佳亭(セッカテイ)があります。江戸時代、傾きかけた金閣を復興し、池泉庭を修復したのが鳳林承章(ホウリンジョウショウ)でした。修学院を造営した後水尾(ゴミズノオ)上皇の為に、承章が金森宗和(茶道家)に造らせたのが夕佳亭です。宗和が好んだ数奇屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が特に佳(ヨ)いということからこの名が付けられました。南天の床柱と萩の違い棚で有名な3帖の茶室です。

 

貴人榻(きじんとう)

昔、高貴な人がすわられた腰掛石。
室町幕府より移設されました。

正面から見ると椅子の形に見えない。

横からの写真も撮っておけばよかった。