与野駅周辺には、昭和から時間が止まっているものがいくつか存在していた。
撮影日 2022年12月15日
公共施設案内図
「公共施設案内図」の前の部分がはがされているが、何だったのだろう?
与野市だと思ったが、最後の文字が「市」に見えないし、あっ、わかった!
たぶん「与野市内」だ。
きっとそうに違いない。
こんなの分かったって、喜ぶのは自分だけだろう。
この案内図は昭和50年代に製作されたものと考えられる。
その理由は案内図から読み取れる次のふたつである。
①与野ハウスが描かれているので1976年(昭和51年)以後のもの。
②JR埼京線が描かれていないので1985年(昭和60年)以前のもの
京浜東北線の与野駅は与野とあるが、旧与野市(現さいたま市中央区)ではなく旧浦和市(現さいたま市浦和区)上木崎に所在していた。
上の案内図に「国鉄与野アパート」が載っている。
現在、跡地は「シティテラスさいたま新都心」になっている。
浦和市、与野市がさいたま市になったのは2001年(平成13年)だが、旧市表示のものがまだ残っていた。
東口と西口をつなぐ通路にある注意表示
浦和市のままだ。
浦和市の部分に白いシールが貼ってあったようだが、はがれてしまっている。
下記のものはまだ白いシールが健在だ。
まだまだ、これ以外にもさいたま市には旧浦和市、旧与野市、旧大宮市、旧岩槻市の痕跡が数多く残っている。
いずれ旧市毎に紹介したいと思っている。
いつも、与野駅東口駅前広場の前に建っている建物が気になっていた。
それがこれだ。
えっ、普通の唐揚げ屋さんだけど、何か?
上に出っ張っている屋根を見てもらいたい。
変わった形をしているではないか。
左斜め前から撮ったもの
横から見たところ
分かりにくいので、裏側から撮ってみた。
西口のマンションの間に「ギャンブレル屋根」が見える。
もう少し近くに寄ってみよう。
いつ頃建てられたものだろうか?
戦前?
戦後?
県内ではあまり見かけない形をしている。
※ギャンブレル屋根(ネットで見つけたものを拝借させていただいた。)
切妻の屋根勾配を途中で急角度に変えた屋根で、屋根の面の中央付近で角度が変わることから腰折れ屋根とも呼ばれたり、将棋の駒に似ていることから駒形切妻屋根と呼ばれたりする。
西口は再開発が完了しているが、東口はまだだ。
駅前広場がなく狭いため、駅前広場を整備する都市計画が決定しており、2009年より地権者に立ち退きを要望しているものの理解を得られておらず、未だ整備されていない。
今は店舗として利用されているが、いつ解体されてしまうかわからない。
先日も中山道を歩いていたら、北浦和駅から浦和駅の間にあった出し桁造りを含む古い建物が3棟も解体されていて、ショックを受けた。
ということで、今後は、消滅してしまう前に埼玉県に残る古民家等も紹介していきたいと考えている。