歩・探・見・感

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旧町名 川崎市多摩区生田

生田は川崎市多摩区に現存している町名じゃないの?

神奈川県民はそう指摘するかもしれない。

自分は埼玉県民なので、他県のことは調べるまで知らなかった。

麻生区多摩区から分区したときにその一部が東百合丘になったという経緯がある。
その経緯の痕跡、分区前の生田を発見したので、紹介することにしよう。

 

発見日  2020年10月24日

発見場所 神奈川県川崎市麻生区東百合丘2丁目

現区名の「麻生」の読みは「あそう」ではなく「あさお」である。

 

歴史

1875年(明治8年
上菅生村、五段田村が合併して(旧)生田村が成立。

1889年(明治22年)4月1日
町村制の施行により、(旧)生田村、金程村、高石村、細山村が合併して生田村が成立。

1938年(昭和13年)10月1日
川崎市編入。同日生田村廃止。

1972年(昭和47年)4月1日
川崎市政令指定都市に指定され、旧村域が多摩区になる。

1982年(昭和57年)7月1日
川崎市多摩区から麻生区を分区。金程、高石、細山の全域と、生田の一部(分区と同時に東百合丘を起立)が麻生区となる。
多摩区から分区する際、高石・百合丘3丁目・王禅寺・生田の一部から東百合丘が新設され、住居表示を実施。

生田字塔の越、字餅井坂の一部から東百合丘2丁目となる。

2000年(平成12年)11月6日
王禅寺東1丁目・2丁目の新設に伴い、王禅寺の一部を東百合丘3丁目に編入し、住居表示を実施。

 

生田村の村名の由来

旧村名より。1875年に成立した生田村は上菅生村の「生」、五段田村の「田」を合わせて命名された。

 

東百合丘の地名の由来

百合丘の東に位置することによる方角地名。