歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧千代田区立今川中学校の「二宮金次郎像」と「鉄骨」と「ぶどう園」

学校等で二宮金次郎像を見かけると大体写真を撮っている。

探索途中にたまに見かけるがそれほど多くはない。

特に東京23区内では、絶滅危惧種のひとつであろう。

 

発見日  2023年2月25日、3月4日

発見場所 東京都千代田区鍛冶町2-4

 

このように大体正面から撮ることはできない。

ほとんどの二宮金次郎像は道路から背を向けて校庭の方を向いている。


うしろ姿

左側に説明板があるようなのだが、見えない。

 

道路側から見ると土台の右側面に皇紀二千六百年記念とある。

皇紀二千六百年は1940年(昭和15年)だから、この中学校が開校する前だ。

 

2023年3月4日、再訪したところ、校庭で東京マラソンの準備をしているらしく、裏門が開いていたので、勝手に入ってしまった。

ネットが邪魔だったが、正面から撮ることができた。

至誠報徳

報徳訓

 

次のものは前回訪問した時は、何だかわからなかったので撮らなかった。

 

今川中学校校舎の鉄骨

今川中学校校舎と鉄骨について

この鉄骨は、平成12年9月に解体された今川中学校旧校舎の構造材として使用されていたH型鋼です。
旧校舎は、「総覧 日本の建築 第3巻/東京 日本建築学会編集:新建築社発行」に日本の代表的な学校建築として紹介されています。これによると、旧校舎は、昭和4年(1929年)に大正12 年(1923年)の関東大震災により被災した校舎の復興建築として建てられた校舎で、「鉄骨軽量コンクリート造(モニエ式)」という構造法を採用し、設計は当時の東京市土木局建築課が担当したと記述されています。外観は、写真1のように水平連続窓を立面に配置する、明るく軽快な印象がし、内装についても、写真2のように階段の手すりや天井部等数々のデザイン上の工夫がこらされる等、特色のある震災復興校舎といってよいでしょう。
このたび、今川中学校の旧校舎解体に伴い、校庭植え込み内にあった 「二宮金次郎」 の石像を敷地の南側に移設し、銘板の設置等をしました。これに併せて、旧校舎の解体時に発生した鉄骨廃材を再利用してオブジェ風に加工しました。 旧校舎の思い出とともに、ここに展示・紹介するものです。

(参考)
千代田区教育委員会では、この鉄骨を展示するにあたり、新日本製鐵株式会社(旧八幡製鉄)君津製鐵所に分析を依頼したところ、この鉄骨は、「溶接による組み立て日型鋼」 ではなく 「圧延法」 により製造された鋼材であること、このような鋼材は、当時日本では製造されていなかったため、 米国 Beshlehem(ベツレヘム)社製の製品を輸入したものであることなどが判明しました。
平成13年3月 千代田区教育委員会

 

今川中学校

1947年(昭和22年)4月1日
一橋中学校、今川中学校が開校。

1948年(昭和23年)2月21日
練成中学校が開校。

2005年(平成17年)4月1日
今川中学校と練成中学校の2校が一橋中学校に吸収合併。同時に一橋中学校が神田一橋中学校に校名変更を行う。

 

元校庭にはぶどう園があるようだ。

千代田区神田産のぶどうを使ったオリジナルワインを作るために「一般社団法人神田をワインの街にしようの会」の方たちが栽培しているようだ。

10月の第3土曜日にワイン祭りを開催しているらしい。

 

会の方たちだろうか、この日(2023年3月4日)は、剪定が行われていた。